やる気 「想像力と創造性」を萎えさせない

学問に情けあり 西山夘三 と早川和男 の続き

    

学問に情けあり』西山夘三氏・早川和男氏 

早川和男氏 「21世紀の学問をになう人びとに」以下抜粋

自己の研究テーマに固有の論理、
そこまでいかなくても研究者としての主体性を持たぬままに

言い換えれば、

何のためにその研究をするのかがわからないまま取り組むと、

研究者にとって一番大切な問題意識や、思考力が流行に流され

それを繰り返していると、

”委託研究”に振り回されているのと同じ
ロボット人間のようになってしまう。

この点について、S.K.ネートル、櫻井邦朋
『独創が生まれないー日本の知的風土と科学』
1989年の指摘には、うなずかされることが多い。
以下、《》は同書引用

日本では《民主主義に立った物の見方、考え方の出来ない前近代的な人間の多くが、徒党を組む》から、大学も研究団体も、それぞれが
《ある種のヤクザ・グループに似た存在となる》のは避けられないことになる。

日本人は他人を評価する際に、出身大学、所属機関、集団など、その人の帰属先を見る。それで、この人はこういう人 と決めてしまう。周りがそう見るし、本人もその集団の中で遊泳する。

保守・革新を問わず、
研究団体などでもそこを支配するイデオロギー、党派性などに
自らの思考を染め上げ、

研究者として最も大切な

”自分で考える”ことを自ら放棄してしまう。

《進歩的といわれる人々でも、
心情的には、民主主義からはるかに遠い、
権威主義的、事大主義的なものが多い》 

事大主義(じだいしゅぎ)
=自主性を欠き、勢力の強大な者につき従って
自分の存立を維持するやり方

「御用学者」は、保守・革新を問わず存在するものであり、
その弊害はかつてのソ連の権力追随の学者などを見れば明らかである。

いずれにせよ、研究者の場合、
どういう仕事であれ、体制維持の役割を果たし、

個人が権力構造の中にはめ込まれて、
その地位が与えられている社会では、

個人のindividuality など、望むべくもない。

独創的な人間が生まれてくる可能性など、なきに等しい。

こういう集団主義の社会では、異論をはさめば、居心地の悪いことになってしまう。その集団の思考方式から外れた見解に対しては口をきわめて非難する。《ムラの中でだれかがムラのしきたりから外れたことをしようものなら、いわゆる村八分にさえしかねない。足をひっぱって、自分たちのところまで引き戻してしまおうとする》。

創造性など、はるか彼方のこととなる。

ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈氏は、
偉い先生からは離れよ」とさかんに強調している。

偉大な業績をあげた先生の側にいると、どうしてもその影響を受け、
あるいは思考が知らず知らず束縛される。

無論、そういう研究室での一定の勉強は
他に替えられない貴重なものだが、
その影響から脱しなければ、それを乗り越えるとまでいかなくても、

主体的に研究にとりくむことは出来にくくなるということであろう。

偉大でなくても、自分の子分を作りたくてしかたのない大学教授がいる。

学問的な覇権を広げたいという欲望にもとづくものだが、

そういう研究室の中に入ってしまうと、

想像力と創造性は、閉塞状態におかれてしまう。

せいぜい亜流にしか育たない。

創造的な研究を目指すならば、

「人は必然的に孤立し、孤高の存在とならねばならない。
他の人々や仲間たちから独立せねばならない。
研究の仕方や、テーマの取り上げ方など、
すべての点で 他の人々から違った視点にたつこと
(エドワード・W. サイード)が必要になる。

人々がグループを作り、その中の一員となって安心を買おうとするのは、
ムラから外れて孤立することを恐れているためである。

日本人学者の多くは、
孤独に十分耐えるだけの強靭な精神を持っていない》から、
革命的な新しい領域を開くテーマが浮かんでこない。

集団主義がとりわけ問題なのは、

自分で考える必要の少ない研究に若い人たちが巻き込まれていることで、

彼らにとって想像力をふくらませる機会は奪われ、思考力は萎える。

その時々の流行が気になり、独創的なアイデアや理論を生む機会が減り、
独自性を失い自主的な研究が出来ない時、
人々が安穏な生き方として選ぶのは、

誰か他人の下について、
その人に率いられるグループの一員となるという道で、悪循環に陥っていく。

日本人に初めから論理的思考能力がないのでなく、
長年にわたり以上のような環境に置かれておれば
そうならざるをえないとみるべきであろう。

《独創に至る道は、ただ単に孤独というだけでなく、
孤独におかれた状態が、時にはきわめて長く続く道である》

どうすれば知の閉塞状態から脱することが出来るのか。
サイードは「知識人はアマチュアたるべきである」と言う。

彼の言うアマチュアリズムとは、
「専門家のように利益や褒章によって動かされるのではなく
抑えがたい興味によって衝き動かされ
より大きな俯瞰(ふかん)図を手に入れたり、
境界や障害を乗り越えて様々なつながりをつけたり、
特定の分野にしばられずに、
専門職という制限から自由になって、観念や価値を追及する

「利益とか利害に、もしくは狭量な専門的観点に縛られることなく、
社会の中で思考し、憂慮する人間」である。

思考方式の人間は、独立・自負の精神がなければ成立しない。

現実は、権威従属・権力追従・集団帰属志向・孤立苦手型人間が多い。

こういう状況のもとで創造的研究に取り組むには、

集団主義から脱し、孤独に耐えうる強靭な精神力が不可欠となる。

主体的で、権力・金力に従属しない学者・知識人

(本当の意味での)職能人・専門家が少しでも増えることが、
この日本をよくする基本的条件の一つと考える。

    

早川和男氏 日本居住福祉学会会長。神戸市在住。

耐震偽造問題をどう見るか ビデオ&記事

ものを考える力をつけることが、抵抗力につながる。

ヒットラーやスターリンのようなものが出てきて

破局を迎えないためには、

予兆を感じ取って、
本質的な転換を図ること それが今、求められている。

「粗大ゴミ」を癒す「可愛い」女性たち(日本社会)

宮本政於(みやもと・まさお)氏
1948年~1999年 東京都生まれ 精神分析医
1986年、アメリカから帰国して厚生省に入省するが、

官僚社会批判で懲戒免職となる。
『「弱い」日本の「強がる」男たち』 より抜粋
1993年にジャパンタイムズより刊行された。今読んでも、色あせていない。


日本社会では、男性に大人、女性に子供の役が割り当てられ、
可愛い子を上手に演ずることが出来る女性が尊ばれる。

男性と同等の立場に立って意見を言う、そんな女性は従順ではない、

すなわち可愛くない女という評価となってしまう。

可愛らしさは、子供っぽさと結びつくが、それ以外に、人間の持つ攻撃的な側面を見なくてもすむ、という部分も存在する。可愛らしい女とは、”子供っぽく、男にいつも依存する存在”という意味合いを持つ。


男に脅威とならない女が可愛い女だ、
という図式が見えてくる。

男性は、自分の持つ不安を、女性という相手に投影して、

女性こそ自立出来ない不安の塊(かたまり)だ、
そう思い込んでいるから、
自分たちの不安に直面する必要がない。

ニューヨークに赴任し、ノイローゼになった日本人男性
『部下の半分は現地採用です。そのうちの3分の1は日本人なのですが、

日本人は男性女性問わず、日本にいる日本人とは違います。
特にその違いが、女性に顕著に見られるのです。
彼女達は日本人の顔をしていながら、
とてもはっきり自分の意見を言うのです。
これがショックでした。

私も女性の扱いはそれほど下手ではありません。
自分の意見をはっきり言う女性も、日本でなら、可愛いものだと おおらかな気持ちで接していました。

でも、ここの女性はすごいとしか言えません。
可愛いどころか、おっかないんですよ。
うっかりしたことを言えば噛み付いてくるのではないか、
少なくとも私にとってはそんな雰囲気なんです。
一言で表現すると、アメリカの女性には可愛らしさが無いということです。』

☆ ☆ ☆

「親方日の丸」「お上(かみ)」意識には、
日本人の理想化した母親像が投影されている。
苦境に陥っても抱きかかえてくれる、問題を解決してくれる、
いたわってくれる、一種の理想化された母親的なイメージを
「お上」に重ね合わせているのだ。

ニューヨークに赴任したA氏は、アメリカ人から個人としての対応を迫られた。
個人としての対応とは、
具体的には”自分の意見を述べること”であり、
最高管理者としての責任を負うことでもある。

☆ ☆ ☆


「粗大ゴミ」とは
家では邪魔な存在でしかなく、家族の誰もが見向きもしなくなっている人。
滅私奉公一筋に働いてきた組織人間でもある。

A氏が自分を「粗大ゴミ」と評した時、私は迷わず、この人はかなり心に問題を背負った人だと判断してしまった。

「粗大ゴミ」と呼ばれているこれらの『お父さん』の末路を、
改めて厚生省で目撃するまでは、まさか『日本のお父さん』の圧倒的多数を占めているとは思いもよらなかった。

「粗大ゴミ」おじさんの特徴
ゴミとなるのは男性と決まっている。年齢は中年以降で腹が出てきている。だから当然ずん胴で、どんな格好のよいスーツを着ていても、シルエット台無しとなる。セクシーさや男らしさはどこにも見ることが出来ない。
結果として若い女性たちからは、見向きもされない。
ところが、女性への それも性的な関心はかなり強い。
だから、女性たちがそばに来ると、
彼女らの体の線をいやらしい目つきでなぞる。

女性からは、モテナイので、
部下である男芸者からゴマをすられることに喜びを感じるようになる。


食後にこれまた「粗大ゴミ」氏たち独特の癖を見ることが出来る。それは爪楊枝(つまようじ)をしゃぶる癖だ。トイレから出てくるとき、廊下に出てからファスナーを引き上げているのも「粗大ゴミ」氏たちに共通している動作でもある。

彼らは人生のうち一番大切なことは仕事だと信じて疑わない。

その影響か、昼食は15分ぐらいですませる。

*** *** *** ちょっとブレイク *** *** ***

石田 徹也氏 の作品
ドキッとするほど 今の日本を捉えている。
燃料補給のような食事 
派遣で働く若者の言葉
『人を配置することを、”弾(たま)を込める”って言うんですよ。モノ扱いです』

*** *** *** *** ***   *** *** *** *** *** 

ラジオ体操を好むのも その特徴だ。
たった2、3分なのだから、運動効果などまったくない。

気分転換になると言った人もいたが、集中力の妨げ以外の何物でもない。
みんなが一緒に行うべきだと集団が認知している行為は、
何にもまして優先する。


こうして、組織は次々と「粗大ゴミ」を作り出し、
作り出された「粗大ゴミ」たちは、
率先して新たな「粗大ゴミ」を作ることに力を注ぐ。

人間ロボットと化した人間が、新たな人間ロボットを作る。

「粗大ゴミ」は、マゾヒスト
食事でも自主性はない。
課長の「昼飯だ」の掛け声一つで、課長に同行する。みんなが同じものを食べたいと思うとは考えられないのだが、年功序列の素晴らしさ、上司が希望を述べれば部下はその希望を出来るだけかなえようとする。

課長がそばを食べたいと言えば、全員右へならえなのだ。

所属している部・課の同僚、上司らと昼食を共にしないと、「付き合いが悪い」という評判が立つ。

組織で仕事をする以上、何回かは義務と割り切って一緒に食事をしなければならないことはよくわかる。しかし、趣味も感性も一致しないのに、連日のように一緒に食事をすることが当然で、しかもそのように行動しないと、

「属している集団と一緒にいるべきだ」
というプレッシャーがかかってくるのは、
どう考えても異常である。

だが、これも
「粗大ゴミ」族を育成して、
個人を組織のためにロボット化するための手段である、と思えばうなずける。

家庭が、世界が「粗大ゴミ」菌に汚染されていく
「粗大ゴミ」的環境に染まってしまうと、平日に家族と一緒に食事をとるのはほとんど不可能となる。

父親不在の家庭は、
親離れ、子離れができない、いびつな母子関係を作り出す。

*** *** *** ちょっとブレイク *** *** ***
『「内づらと外づら」の心理』 加藤諦三氏 以下抜粋

私たちの中には情緒的に成熟した両親のもとで健全に育つことの出来た人もいる。しかしそれはまったくの運であって、自分で選べるものではない。人間の偉大さは、情緒的に未成熟な両親のもとに生まれ育っても、自我の形成が出来るということではないだろうか。

その条件が、生家に対する感情をごまかさないことである。
生家に対する感情をごまかすと、自我の基盤がなくなってしまう。

健康な家庭に育った人はいとも簡単に、親孝行は大切だ、家庭は大切だ、
親や同胞とうまくやることは大切だと言う。それはそのとおりなのである。
しかし、条件がつく。


親が情緒的に成熟している時 という条件である。
大人になろうとした時、最大の障害は”健康な人”の価値観である。


父を拒否し、父を憎悪する母にとり込まれた息子に向かって、 父母が仲良くやっている家庭の息子と同じ倫理を要求することは、 40度の熱を出している病人の健康のために ジョギングを要求するのと同じである。 「心が病気になって苦しめ、死ね」ということである。 神経症性うつ病などは、それゆえにこの仕組みを打ち破れずに なってしまったものではなかろうか。

神経症性うつ病の傾向を持てば、今度は自分が自分より弱い立場の人間に対して加害者となっていく。

親は自分の思い通りにならない代償を子供に求める。子供の人格を無視してねこっ可愛がりをする。子供は自我の形成をあきらめてペットになれば、
いつまでも可愛がってもらえる。家族全員が成熟拒否をすれば、気味のわるい平和はその家に訪れるが、自我の形成を始めれば崩壊する。

成熟を拒否した親は、成熟しようとする子供を憎み排斥する。
子供は、結婚し配偶者と親しくなることは望まれない。

嫉妬深い親は
すべての他者をよそ者として排除しておく世界観を 子供に望む。

スチューデント・アパシー、サラリーマン・アパシー(⇒無気力
それらの人に求められることは、
自分が癒着している人間の欺瞞を見抜くことである。

自分が誰と癒着しているかは、すぐにわかる。
その人の支持や賛成なくしては、何も出来ないという人である。
その人に自分は取り込まれ、
その人の持っている心理的ゆがみを受け継いでしまっている。

癒着とは、その人なしには何もできないくせに、
その人といることを心から楽しめないという関係である。

自分は癒着していないというなら、あなたはどうして大学生活を楽しめないのか、どうして会社の同僚と楽しくやれないのか、どうして学業にもサークル活動にも集中できないのか、どうして結婚生活が充実しないのかを考えてみるがいい。

母子癒着の責任は、子供より母が先だろう。

癒着ということは、愛し合うということではない。お互いのアイデンティティを放棄して結合するということである。愛し合うということは、お互いの人格、個性を認め合った上での関係である。

母親自身が自分は何であるか、
自分は何のために生まれてきたのか、
自分の生きる意味は何か、
自分にはどういう生き方が向いているのかがわからない。
つまり、母親自身が自分のidentityを持てない。
それを子供と共生することによって
自(みずか)らのidentityを確立しようとしたのである。


子供を自分の延長として見た。子供を別個の人格として、自分と区別して考えることをしなかった。こうして母子癒着は起きてくる。夫に失望・嫌悪・不満を子供で乗り切ろうとした。

母の父に対する嫌悪、敵意、拒否を息子に受け継いでいく。
男性たる父に同一化できず男性性の欠如をもたらす。

このような母とうまくやるということは、男らしさの無い幼児性を自分の中にとどめることが条件なのである。母は自分を愛したのではない。
自分の欲求不満を解消するための手段を自分に使ったにすぎない。

情緒未成熟の親にとっては、

子供が心理的に病んでいることが必要なのである。

自己主張せず、自分の頭で考えず、自分なりの感じ方をせず、

ひたすら服従する子供は、傷ついた親の自我の拡大感に役立つ。

癒着を断ち切ろうとする者は、癒着の恐ろしさを知らなければならない。
”健康な人”の価値観を無視して、その癒着を断ち切ることである。

親の癒着を断ち切るということは、
同時に自分の依存心を克服することである。

依存心の強い者は、どうしても内づらが悪くなる。

内づらが悪くて外づらがよい人は、

自分の内面が二つに分化し自我の統一はなされていない。

今まで自分の育った環境が

自我の形成に障害になっていたということを認識し、

違った環境

つまり自我の形成に良い環境を選ぶことに専心するのが何よりであろう。

自我の形成に良い環境とは、

何よりも情緒的に成熟した人々のいるところである。

立派な家も、高い社会的地位も必要ない。あなたの成功によって、自分の地位を上げようとしているような人のいないところ、成功へのストレスの無いところ、あなたが感じるように感じることが許されるところ、そして何よりも、誰かに忠誠を誓う必要の無いところである。

過保護の場合、親が子供を可愛がるのは、「子供が自分の支配に服するかぎり」においてである。これを子供の側から言うとどうなるか。「自分が親に忠誠をつくすかぎり」ということになる。

過保護は、その子のありのままの「自己」を激しく拒否している。その子が自己喪失して、忠誠を誓い、従順であるかぎりにおいて保護し、受け入れる。自己喪失した子に、親は満足する。

外から見ると平和で立派な家庭である。時には理想的にさえ外には見える。しかし、保護、忠誠、満足、自己喪失の家庭は病んでいる。その集団としての家庭の病気は、やがてある特定の子供を通して表面化してくる。
子供は、自分の本質を拒否している人間に対して忠誠を誓う。

そして病んでいく。

新しく求める環境の中では、忠誠を誓う必要を感じる主権的人物がいてはならないのである。

*** *** *** *** ***   *** *** *** *** *** 

食事はコミュニケーションの場であるし、楽しみでもある。

それが家庭の中から喪失しているのが日本の現状だ。

家族そろって組織に貢献している。

そう聞けば耳に快(こころよ)いが、

実態は父親が「粗大ゴミ」となり、

家庭は断片化しているのである。

こうした組織の論理の弊害(へいがい)は、家庭の中にじわじわと浸透しているのである。

「粗大ゴミ」を作り出す価値観 組織優先の発想は、
子供の性格形成に重大な影響を及ぼし、
社会に悪影響を及ぼしている。

家庭内暴力、登校拒否、

学校内でより陰湿化している「いじめ」、キッチンドリンカーなど、

みんな「粗大ゴミ」菌が蔓延したために起こった現象だ。

”滅私奉公”の発想は、子供を犠牲にするだけではなく、

組織のためにと滅私奉公している本人までダメにする。

「粗大ゴミ」思想は、日本社会に百害あって一利なしである。

しかも、害は日本社会だけではおさまらない。外国、特に先進諸国は、日本が「粗大ゴミ」パワーを利用して高品質な製品を作るものだから、競争力を強化せざるを得なくなる。

おかげで、彼らは一番大切だと思っている家庭での生活時間、
個人の生活を削り、日本に対抗することになる。

日本で生まれた「粗大ゴミ」病は、先進国全部を汚染してしまう。

終電まで働いても、誰も異常だと思わないし、思っても言わない。


だが、そうした状態が異常であることを認識し、
声を大きくして自分の生活を守る、
これが「粗大ゴミ」病の伝染力を減退させることにつながる。

勤勉だと自慢することは良いことだ。
だが、勤勉の裏返しが、個人の生活の犠牲であるのならば、

自慢どころか恥じるべきことである。

個人の犠牲の上に成り立った繁栄は、
生活を後回しにする国だという証拠である。

個人の生活を獲得するための戦いは正しい。

しかし、戦う姿勢をあまり鮮明にしてしまうと、

共感を持ってくれている人でも距離を置いて接するようになる。

これが、日本で主義主張を鮮明にすることの難しさである。

自分の意見を主張することによって、
集団の調和が乱れるのであれば、主張は抑えるべし、
といった誤った価値観を植えつけられているからだ。

「粗大ゴミ」菌が蔓延してしまった組織の内部で、個人を尊重しましょうと言うこと自体、無理があるのかもしれない。

しかし、「粗大ゴミ」病の、人間に与える悪影響は 計り知れない。

「信じること、疑わないことこそ日本人」
もしもこうした発想が心の奥にあるのであれば、
それ自体、疑ってみる必要がある。
なぜなら、この発想こそ
「服従」が昇華(しょうか)したものであるからだ。

上司、先輩、先生などと呼ばれる人たちの価値観に挑戦してみよう

その結果として、「日本人らしくない」そう批判されるようになれば、
世界というマーケットを相手に競争できる素養が備わったと考えてよい。

これからは個人としての強さが求められる時代だ。そのためには、どうして「強がる」男たちに支配されてしまったのかを知る必要がある。

「心理的な去勢」教育を受けてしまった
それが結論だ

彼らは国民を弱い人間としておきたいのだ。支配する側に立ってみれば、
そのほうが楽であることは誰にでもわかるだろう。
「心理的な去勢」とは国民を弱い存在にしておくための催眠術だ。

でも、催眠術だから、その呪縛(じゅばく)から自分を解くことも簡単だ。

「自己主張」がその答えである。
自己主張は、強い自分を作るための練習となる。

常に現実から目を背(そむ)けない。

これは自分の気持ちに忠実に行動することでもある。

誰が考えても、彼らが作り出した集団社会に服従しているよりは、自分を生かして個人の生活を満喫するほうが良いに決まっている。

「わがままだ」などという批判を気にしてはいけない。

    

日本社会-- 家庭-- 父親の不在 断想

トルストイ--生きる光を見失って

盲目的に命令に従ってはならない(ドイツ社会)

ドイツは過去とどう向き合ってきたか』 熊谷 徹(くまがい・とおる)氏

ギムナジウムのグラスマン校長

『歴史的事実については、一つの国だけからの情報ではなく、

他の国からの情報も資料として生徒に提供し、
生徒が自分の意見を形成できるようにします。

年号などを丸暗記するだけでは、歴史教育とは言えません。

教師の役目は、生徒が自分で考え、
研究するための素材を提供することです。

歴史教育においては、事実を覚えるだけでは不十分であり、
その事実をどのように評価・分析するかが、きわめて重要です。
事実の提供と評価が並存して、初めて歴史を学ぶことになります。』
★ ★ ★

ドイツの教科書では、
白バラ運動や7月20日事件に関する記述によって、

命を賭けてナチスに抵抗したドイツ人がいたことも 強調されている。

若者が批判的に現代史を学ぶことは、

被害を受けた周辺諸国に安心感を与える原因の一つになっている。

こうした教育を受けていれば、
将来、仮にナチスのような集団が政権を奪おうとした場合に、
市民が反対する可能性が高くなるからである。

これは「自虐史観ではなく、将来 全体主義政権が再び誕生し、

ドイツの国益を損なうリスクを減らすための、

危機管理(リスクマネジメント)でもある。
★     ★     ★

歴史の授業が「暗記」ではなく「討論」が中心の教育
自分の意見を形成し、その考えを発言する機会
個人の意見や議論を重視するドイツ社会

故に、ドイツ人は、批判的な思考と自己主張を得意とする。
⇒「個人の罪」を重視するドイツ人の戦争責任感へと繋がる


★     ★     ★

ドイツの司法会や社会は、
ナチスの時代に生きた、ドイツ市民全員に罪がある」
という集団責任は否定している。

裁きの基準になるのは、
個人が「どんな状況でも、人を殺してはならない
という自然法に違反したかどうかである。

当時は戦争が行われていたのだから、
いわゆる軍事作戦中の戦闘行動には、
この自然法はあてはまらない。

問題は、

ユダヤ人や捕虜、精神障害者の虐殺や拷問、
見せしめのためのパルチザンの処刑など、
いわゆる人道に対する罪を犯したかどうか、

また捕虜の射殺や虐待を禁止している
ジュネーブ協定に違反する行為をしたかどうかである。
★ ★ ★

ディルクス裁判長
(ナチスの安楽死計画に加わった2人の医師に有罪判決を下した)

『ウルリヒ被告は、安楽死施設に着任して、

患者を殺すのが自分の仕事だと知った時点で、
任務を拒否するべきでした。

たとえば彼の同僚の中には、
安楽死施設に来てから1週間後に、障害者を殺す任務を拒否し、
前線での勤務を志願した人がいました。

彼は前線で生き残り、この裁判で証人として証言しました。

つまり、ナチスの命令を拒否したからといって、
直ちに死刑になるわけではなかったのです。
ウルリヒ被告の罪は、命令を拒否しなかったことです。
★ ★ ★


たとえ上官の命令であっても、
自然法に違反する疑いがある非人道的な命令については、
拒否するべきだというのが、
戦後西ドイツ司法と社会の原則なのである。

安楽死裁判でも、

殺害を拒否した者は、戦後訴追されず、

義務だから」と考えて殺害を実行し続けた者は、
有罪判決を受けて獄に下った。

つまり、「集団の罪」という考え方を否定するドイツ人は、
ナチスの時代に市民一人ひとりがどう行動したかを基準にして、
「個人の罪」を追求しているのだ。

市民は、上司や上官から命令を受けた場合、
その命令に従うことが、道徳に反しないかどうか
慎重に吟味しなければならない。

非人道的な命令については、
それが自分に不利な結果をもたらしても、拒否する義務がある。

「上官に命令されたから」という理由で、
盲目的に命令に従ってはならないという原則だ。
★ ★ ★

ベルリンの壁が崩壊して、東西ドイツが統一された後、
旧西ドイツの司法界は、
東ドイツ政府による国家犯罪の追及に乗り出したが、

この際にも同じ論法を用いた

東西を分断していた壁沿いの地域で、
国境警備に当たっていた兵士たちは、

壁を乗り越えて、西側に逃亡しようとする市民を見たら、
射殺しても良いから亡命を阻止すべしという命令を受けていた。

多くの兵士がこの命令を実行し、約200人が犠牲となっている。

旧西ドイツの裁判官たちは
「西側に亡命しようとする市民を射殺してもよいという命令は、
人を殺してはならないという自然法に違反する。


国境警備兵たちは、
この反道徳的な命令に反抗するべきだった」として、

市民を射殺した兵士たちに、禁固刑などの有罪判決を言い渡した。
★ ★ ★

ここでも、「モラルに反する命令に服従したか、反抗したか」という
個人の罪」の論理が援用(えんよう)されているのだ。

広島から世界の平和について考える

平岡 敬 (ひらおか たかし)氏   私の平和論 ヒロシマをめぐって

1927~早稲田文学部卒 中国新聞、広島市長(1991年~1999年)

現在は中国・地域づくり交流会会長

広島から世界の平和について考える

「唯一の被爆国」という言い方は適切でない。
実際、日本という国が被爆したが、その中には中国人・朝鮮人・アメリカ人も被爆している。核兵器のそうした無差別性を覆い隠してしまう。
「唯一の被爆国」という言い方によって、
人間的な根元的な叫びというものが、
国家のなかに取り込まれてしまう恐れがある。

私達の思想的な退廃
今の豊かな生活:資源をものすごく浪費し、大量生産、大量消費、大量廃棄というサイクルのなかから、なかなか逃げ出せない。
その中で生きているわけだが、
この社会を貫いている価値観というのは何かというと、
効率化、あるいはスピード、画一化といったもの。
それが絶対的な価値として社会を貫いている。

今の産業経済システムは工業を優先した社会で、
それを支えているのは近代科学技術。

そうした効率主義というのものは結局、
弱者切り捨てにつながっていく。
弱者を切り捨てる思想の中に私達は生きている。

その思想というのは、

実は核兵器の持つ「皆殺しの思想」と、
まったく根っこは同じ

目的達成のためには老若男女を問わず、皆殺しにしていく。
そういうのが核兵器。

一方、社会に役に立たない人間、弱者、

ジャマになる者、そういうものは全部排除していく。
これはナチス・ドイツがそう。

心身障害者を全部排除する。
そしてユダヤ人も抹殺するということをやってきたわけで、
そういう思想が核兵器の「皆殺しの思想」とまったく通底している。
(つうてい=2つ以上の事柄・思想・意見が、基底の部分で 共通性を持つ)

今の社会のあり方を是認したまま核兵器廃絶と言っても、
絶対に核はなくならない。

豊かで公正で、そして誰もが安心して暮らせる社会 
戦争をしなくてもすむ国際社会 市民社会を、
今後どうやってつくるかということ。

生き方を振り返り、ある程度 欲望を自制すること。
欲望に身を任せていると、
どうしても今の現実を肯定するから、欲望を自制することで、
初めて広島が世界の舞台の中で発言権を持つ。

原子力エネルギーの技術と、遺伝子操作の技術

神の領域を、欲望を持った人間が扱っている。

人間は倫理性をもたなくてはならない。それを自分がどう実践するか。

核兵器廃絶は理想論を言っている。人間は理想をもたなくてはならないし、
その理想に近づくために、どう努力するかというのが問題。生き方の問題だ。

でないと、たとえ核兵器廃絶してもまた作る人が出てくる可能性がある。

人間獣化計画⇔倫理性のある人間
 
核時代においては、
人間が自分の利己的な欲望を自制する倫理を立てない限り、
未来への展望は開けない。

人間が自らの欲望を自制するという倫理を打ち立てなければ、

人間の未来はない
ということが、

実はヒロシマ・ナガサキの教訓だったのではないか。

人間の根源に返って、
自分が果たして本当に欲望をコントロール出来るかどうか。

そうしたことが出来ることによって、
初めて平和というものを現実的なものとして見ることが出来る。

広島はずっと保守党の金城湯池と言われてきた。 
きんじょう・とうち=守りが堅固で、容易に攻め落とすことが出来ない

保守党というのは 核の傘を頼ってきた。

最終的には憲法を改正しようと思ってきた党に 
被爆者援護の充実を陳情してきた。

自分の生活と理想をどう近づけていくかという努力をしない限り、
核兵器廃絶と言えない。

ゴミを捨てない 環境を大事にする 近所の人に親切にする 
それが私は平和をつくることだと思っている。 

宣伝相 ゲッペルスがドイツ国民に与えた19の警告

考える葦 パスカル『パンセ』

人間は 一本の葦(あし)にすぎない。自然の中で 最も弱いものである。
L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature;

だが、それは考える葦だ。
mais c'est un roseau pensant.

人間を押しつぶすために、宇宙全体が武装する必要はない。
Il ne faut pas que l'univers entier s'arme pour l'écrasser:

蒸気や水滴でも 人間を殺すのに十分だから。
une vapeur, une goutte d'eau, suffit pour le tuer.

しかし たとえ宇宙が人間を押しつぶしたとしても、
Mais, quand l'univers l'écraserait,

人間は 自分を殺すものより 崇高である。
l'homme serait encore plus noble que ce qui le tue,

なぜなら、人間は 自分が死ぬことを、
puisqu'il sait qu'il meurt,

そして宇宙が自分よりも優(すぐ)れていることを
et l'avantage que l'univers a sur lui,
知っているからだ。

宇宙は そういったことを何も知らない。
l'univers n'en sait rien.

それ故、私たちの尊厳のすべては、考えることにある。
Toute notre dignité consiste donc en la pensée.

私たちが立ち上がるべきは そこからであって、
C'est de là qu'il faut nous relever
私たちが満たすことのできない空間や時間からではない。
et non de l'espace et de la durée, que nous ne saurions remplir.

だから、よく考えるように努めよう。
Travaillons donc à bien penser:

これこそ 道徳(倫理)の原則である。
voilà le principe de la morale.

Blaise Pascal, Pensées
ブレーズ・パスカル『パンセ』
2006,09,16 NHK radio france

    ★ 

私が中学の頃、
大東亜戦争すなわち 太平洋戦争が勃発(ぼっぱつ)した。

旧制高等学校の1年生の時、
徴兵延期が撤廃(てっぱい)され、学徒動員が行なわれた。

私はすぐに出陣せず、勤労奉仕に通い、
空襲に怯(おび)えつつ、死の知らせとしか思えない召集令状を待った。

政治家や学者や詩人は、しきりに

「スメラミコト(天皇)のおっしゃるように、

お前たちは 人をなるべく多く殺し、そして 死ね」と語った。

当時、誰一人として、

私に「君 死にたまふことなかれ」と言ってくれる人はいなかった。

そこが、
日露戦争と太平洋戦争の根本的な違いであったのかもしれないが、

たった一人でもいい、

私にはっきりと
「君 死にたまふことなかれ」と言って欲しかった。 

梅原猛氏 『百人一語

★    

学校で教わる歴史というのは結局、

勝った者や支配者がまとめた記述にすぎない。

そこに、敗者や弱者への視点を探すのは、極めて難しい。

そうした歴史を学ぶことに どれだけの意義があるのか。

今となっては 非常に疑問に思うのだ。

歴史に限らないが、

今(というよりも随分前から)の学校教育は、暗記一辺倒になりがちだ。

これではいくら教師が熱心に教えたところで、

子供たちは まったく面白くない。

それよりも、好きなことを見つけさせて、

それに存分(ぞんぶん)に取り組ませるほうが、

まっとうな人格形成ができると思う。

そういうと「我慢させることも教育だ」と、反論が返ってくる。

しかし、我慢させる機会は勉強以外に、いくらでもある。

勉強だけをして、いい点数さえ取れば、

ほかは甘やかして育てている親も多いが、

それこそ本末転倒だ。 

ビル・トッテン氏 『日本は略奪国家アメリカを棄てよ

★ ★ ★ ★ ★

学校生活で作られた”自分の仮面”を はずす
やる気 「想像力と創造性」を萎えさせない
学問に情けあり 西山夘三 と早川和男

日本の宝『医療制度』の『今』を見つめる

教養の再生のために加藤周一氏 ノーマ・フィールド 徐京植氏

ノーマ・フィールド Norma Field: 東京生まれ。米・シカゴ大学教員

日本の豊かさが生み出したもので尊いものが いくつもあります。

たとえば、一応誰でも利用できる医療制度。


個人負担が増える一方で、
個々の政策や病院にはいくらも問題があるでしょうが、

やはりアメリカと比べたら、うらやましい限りです。

国民全員が福祉を恩恵ではなく権利として認識し、
守り抜く用意、教養が必要でしょう。

経済の低迷を不平等の口実にしては
取り返しのつかないことになりかねません。
捨てがたいものをはっきり見極めておかないと 手遅れになります。

戦争をしかけるアメリカ国内で、その負担を担うのは 

弱者が形成する軍隊の死傷者やその家族だけでなく、

増大する軍事費のため、
さらに低下していく公教育や医療制度に頼らざるをえない人たちです。

戦争と貧困の悪循環は 
「勝者」大国においても なかなか断ち切れません。

地元の反戦ティーチインで、衝撃的な事実を知りました。

シカゴのホームレスの75%から80%は、
ベトナム戦争の在郷軍人だということです。

戦争の後遺症は、それだけ長く続くわけです。

どうしても政治に目を向けなければなりません。

アメリカの愛国法や日本の有事法制が 
私たちの生活を根底から変えてしまう可能性をはらんでいます。

空洞化してしまった議会政治、
それを支える選挙制度を市民の手で取り戻し、
民主主義のために活性化しなければなりません。

ちょっとブレイク

全米 無保険者5千万人 内 子供は900万人
L.A. のSkid Row(ドヤ街)へ 病院から文字通り捨てられる人々
'SiCKO' Premieres Outside on Los Angeles' Skid Row (6/25/07)
You Tube (Michael Moore監督の話題作”Sicko”で取り上げられる)

”国民皆保険制度”を先進国の中で唯一持たないアメリカ
医療費が払えないために 治療を拒否されて死亡する人が
毎年1万8千人 Le système est malade.腐ったシステム

マイケル・ムーア監督が、地元ミシガン州でNHKの取材に応じた。
以下 NHK BS1 『きょうの世界』2007,08,24 放送内容から抜粋

最大の問題点は、
今の医療保険制度が 利益を最優先にしているということです。
しかし、患者は何も知らないです。

その仕組みを知っていますか?

医師は患者を診察してから部屋を出ます。

そして保険会社に電話をして、
保険料が出るのかを確かめます。

もし保険会社が支払いを断れば、
「あなたは治療出来ない」と患者に告げるのです。

本当に残酷なシステムです。

私は映画を通して、人々に問いかけたかったのです。

なぜアメリカは、助けが必要な多くの人々を見捨てているのかと。

アメリカでもっとも多い破産の理由は、医療費です。
しかも、破産申請をした人の75%は、
民間の医療保険に加入していた人達なんです。

アメリカの平均寿命の順位は、42位(日本は1位)です。
アメリカにも、
日本や他の先進国が持っている国民皆保険システムが
必要だと考えています。

今より医療費が安くなり、もっと健康になれるでしょう。

日本人はアメリカ人よりも、少なくも4年長いんです。

なぜ日本人が自分達(アメリカ人)より長生きなのか、
問いかけるべきです。

アメリカも、昔は違いました。

病院は、町や教会などの宗教団体によって運営されていました。

私が生まれたミシガン州の病院は、
修道女達が運営していました。
私が生まれた時、

金儲けの意識など、どこにも無かったでしょう。

医療保険業界は1億ドル以上を投入して
”国民皆保険制度”を主張したヒラリー・クリントンを断念させた。

今や彼女は、医療業界から多額の献金
(85万4462ドル上院で2位の献金額=封印の褒美)を受ける身となった。
(ドキュメンタリー映画 新作「シッコ」内/シッコ=Sicko=狂人)

我々アメリカ人が犯した過ちから学び、
同じ道を歩んではならないと わかって欲しいと思います。

もっとも弱い立場の人間を 粗末に扱うなら、
日本もアメリカと同じ道を歩むでしょう。

社会の底辺に置かれる人々が増え続け、
殺人などの犯罪も増え続けるかもしれません。
銃を使った暴力にも 脅かされるでしょう。

十分な教育も受けられず、社会情勢に無知な若者が
増え続けるのです。日本がそうなって欲しいですか?

もし政府が、医療保険などの良い制度を台無しにしようとしたら、
立ち上がって 防がなければならない。

それが日本の皆さんに伝えたいことです。
----------------------------------------

小泉りゅうじ氏 森田実氏 対談 2007,04,25

森田実氏 

江戸時代からですね、日本はかなり医療のいい国だったんです。

それは赤ひげ医師のような人がいたからです。


大きな地主が医者になって、
お金のない人を無料で面倒を見るようなことをやってきたんですよ。

その大きな延長線上で最近まで生きてきたんですけれども、

つまりアメリカがですね、

健康保険制度はいかんと言い始めたら、
健康保険制度を、じゃあ潰してしまおうと。

そうするとすぐには潰せないから、

医療費を引き上げたり、

いろんな制度改革をやっています。

実際はアメリカの保険会社がその医療を取りたいわけです。

その方向でですね、

厚生労働省も 
もう アメリカ側に向かって動き出している、

そのことから来る混乱が起こってですね、
今、病院がどんどん潰れているんですよ。

その原因は、医者が少なくなってしまったことにあります。

特に、産婦人科の医者が少なくなっていて、
もう5年前までですね、
6千あった子供を生むことができる病院が、今は事実上3千ですから。

つまり、妊娠できない社会を作ってしまったんですよ。

妊娠できない社会を作っておいて、

少子化対策だなんて、

これほどいんちきなことはないんですね。

それから小児科の医者が本当に少なくなりました。

これで子供の健康を保つのが非常に難しくなりました。

さらにですね、
医療費の引き上げによって、
医者にかかれない人が非常に増えてきました。

ですから、重症患者でないと救急車で病院に入れてもらえません。

アメリカがそうですけれども、そういう社会になりました。

ですから医療は深刻な混乱になりましたね。

奈良県 病院たらい回しで流産 
(奈良県では昨年8月、大淀町の病院で分娩(ぶんべん)中に
意識不明になった女性(32)が、約20の病院に転院を断られ死亡。

みんな自分の信念を捨てて、
どっちに流れていくのが有利かと、
政治家も含めてですね、
みんな 《風にそよぐ葦》のようになってしまっている


やはり人間はですね、特に指導者は

自分の信念に生きるんだ《考える葦》と思うんですよね。

これが基本なんだと思うんです。

    

勤務医開業つれづれ日記 医療堕落論 

日本の医療は素晴らしい成果を収めて評価されている。
しかも、医師数は限界まで少なくOECDでは最下位争いをしており、
医療費も先進国最低である。

アメリカでは大統領選挙に
日本型医療の「国民皆保険」を参考にした
保険制度を検討する意見が出ている。

最高の成果を極めて安い値段で受けられるのが、
今の日本医療なのである。

いや、「素晴らしい日本医療であった」と過去形で話すべきであろう。

バブル期をはさんで全く上昇しなかった診療報酬が、

2006年に3.16%の診療報酬という驚異的な減額を受けて、
余力の無い病院が一斉に赤字に転落し、
「患者さんのための医療」から
「採算性重視の医療」へと急激な変化を遂げているからだ。

救急をやれば経営的にマイナスになり、
産婦人科をやれば出産費用の踏み倒しが
病院全体の未収金の三分の一以上になり、
小児科をやれば子供に手がかかる分だけ人件費で赤字になる。

すべて、「採算性重視の医療」では、「やってはいけない医療」であるのだ。

その料金設定はすべて国が行っている。
診療報酬を決めているのは国である。

堕落せよ、と国が命令しているのだ。

自分の名誉もマスコミに引き裂かれ、
政府によって診療報酬は激減し、
患者に限りなく高い要求を受け、
司法による責任の認定は生涯収入よりも高く、

日本医療は今、崩壊する。

    

プロメテウスの政治経済コラム 医療崩壊政治の貧困そのもの

救急システム全体が悪循環に陥っている根本には、
自公政権の意識的な医師不足の創出がある。

医療費を抑制するには、
医師の数を減らすのが手っ取り早いというわけだ。

医療を受けたくても受けられないようにしてしまえということだ。

もう一つは、端的に診療報酬を引き下げることだ。

もともと救急医療は、
いつ搬入されるかわからない緊急患者を
一定数の医師が待っているという効率からいえば
人件費のかさむ不採算部門である。

「従来、療養病床の収入で救急の赤字をカバーしてきたが、

06年の診療報酬改定で報酬がカットされ、それもできなくなった

との声が関係者からあがっている。

必要な診療報酬を保障して、

国民の命の砦を守るのは、
政治の最低限の仕事ではないのか。

元気に明るく生きて行ける社会のために、医者のホンネを綴りたい

大混乱の診療報酬改定説明会 '08,03,27
これだけ苦労して、点数削られて、
開業医はまず大幅収入減でしょうから..

開業医が自民党を信頼することなど、
未来永劫になくなるかもしれませんね。

大多数の開業医がほんとに思ってること..
自民党、 厚労省、財務省!みんな、消えてなくなれ! 

    

NIKKEI 2008,02,20

政府は歳出削減の一環として、
社会保障費の増加を毎年2200億円抑制する目標を掲げている。

舛添要一厚生労働相はこの見直しを求め、
予算確保の必要性を訴えた。
政府は2007年度から11年度までの

5年間で社会保障費の自然増を1兆1000億円圧縮する方針を決定。

各年度ごとに2200億円の抑制が前提となっている。

CBニュース 2008,02,20

国民健康保険(国保)料の滞納によって

国保証を取り上げられ「資格証」を交付された被保険者
2006年度の受診率が、
一般の被保険者と比べて「単純平均」で51分の1に止まっていることが
2月20日までに明らかになった。

国保加入世帯は、無職世帯主が53.8%で、
「所得なし」世帯が27.1%を占めている。

年所得200万円の4人家族で年間保険料が
約43万円と収入の2割以上に達し、
滞納世帯は約27%に上っている。

被保険者が支払う各保険料:
厚生労働大臣の認可を得た健保組合の平均3.27%に対し、
国保は8.47%になっており
「所得に比べて保険料が高すぎることが、
国保料滞納の基本的な要因」という指摘もある。

CBニュース 2008,02,06
厚労省 土佐和男氏 『滞納者になるのは悪質な人である
           VS
石川県社会保障推進協議会の事務局長・寺越博之氏 

他の先進国と異なり、日本に最低生活保障制度がなく
無年金・低年金の高齢者がいること自体が問題だが

その上高額な保険料まで徴収しようというのか。

資格証明書の発行は、滞納者を悪質な人と決め付け
低年金・無年金の人の命を奪うものだ。

これは憲法違反以外のなにものでもない。』

菊池英博氏 (日本金融財政研究所長) '08,05,05 日医NEWS 以下抜粋

混合診療自由化が国民皆保険を破壊する.認めてはならない

政府は,イギリスで失敗し,
アメリカでさらに医療システムを崩壊させている
市場原理型医療システムを強引に日本に導入しようとしており,

その突破口として,
混合診療を全面的に自由化させようとしている.

導入推進者は,
「混合診療を認めれば,未承認の新薬や治療法を利用しやすくなる」
と有利な点を強調する.

しかし,実態は,
自由診療」分野(保険外診療)で扱う
厚生労働省が認可していない医術や薬品は,
製薬会社や病院が自由に価格を決めるため,
より利益の上がる商品となる.

これによって,診療費は高騰する.

保険会社は自由診療向け保険といった新種保険を開発するなど,

外資系の保険会社,製薬会社が中心となって,
医療保険に対する公的支出を削減しろという圧力を掛けてくる

つまり,混合診療は市場原理型医療への突破口となるのだ.

そうなると,
「健康と人命には貧富の差がない」という国民皆健康保険が崩され,
貧乏人は医者にかかれない」ことになる.

混合診療の自由化要求は,
国民皆保険制度破壊を狙うであり,絶対に認めてはならない.

こうすれば世界一の医療システムを堅持できる

提案

(1)二〇〇六年六月の「医療制度改革法案」を全面的に凍結する

(2)混合診療の認可を絶対に認めない

(3)当面の医師不足対策として,
早急に看護師・勤務職員といった医療職以外の人員の倍増を図る
(アメリカには,この種の職員が日本の十倍いる)

(4)日本の医療費のGDP比率は八%であり,
OECD加盟国平均九%より一%(五兆円)少ない.

早急にこのギャップを埋め,
短期間に診療報酬を増額し,
さらに十年単位の計画として,
病院の近代化,看護施設の充実,高齢者の医療施設の開発など,
新規分野への医療費を増やす(五兆円). 

これらの資金は,
われわれ国民の預貯金と政府保有の金融資産を活用していけば,
増税なしで調達できるのだ.こういう政治と政策が望まれる.

国民皆保険制度 『破壊の罠』--『混合診療の自由化』

縁起に学び、ガタピシを取る 仏様の智慧

人間は固定的に善人であったり悪人であったりするのではなく、
によって善人にもなり、悪人にもなる存在だ。

日常生活において、物事がうまく行った時、

その成功の原因は自分の努力だと考えてしまう。

それは「因」だけを見ているのだ。

成功の背後にはさまざまな「縁」、
大勢の人々の努力があったことを忘れてはならない。

仏教の正しい考え方は「因果応報」ではなく、「因縁生起」である。
「因」だけではなしに「因縁」によって、物事は生じたり起きたりする。

この「因縁生起」を略して、「縁起」という。  

ひろさちや氏仏教布教法話 365日大事典

    

《貞永式目》はひじょうに刑罰がゆるい。切断刑が無い。

日本人はやはり刑罰をきらうところがあります。
平安時代がそうでした。
怨霊が怖いんですかね。死刑をやめてしまうんですからね。
(山本七平氏&中村元氏)

《自善他非》とは、
自分のいうことだけが善であり、
相手はみんな間違っていると考えること。

それが、《我他彼私》ということばに通ずる。

みんな自分を善しとして他を悪いとしておるから、
ガタピシ、ガタピシする。

その《我他彼私》を取るのが宗教の世界。

仏教は、その《我他彼私》を取ってしまおう、
ひじょうになごやかな最上の道だと思う。

仏教では無我ということをひとつ言われますが、
あれは我執をなくするという意味なんですね。

思い上がって自分の内に妙な執着だの、

かたくななところがあってはいけない。
それをなくするということになりますと、
真の仏教者は、今のお話のように他の宗派の教えでも、
ああなるほど、いい説き方をしているなと思えば、
おのずから耳を傾けて自分の反省とすると 
ひとりでに行くわけなんですね(中村元氏)

中村元 対談集3 『社会と学問を語る

    

ここ2、3年、私は機会あるごとに

色々なお寺の管理する墓地や霊園を見て歩いています。

それと言うのも、仏教という特定の宗教の墓地の中に、


神道どころかキリスト教のお墓までが、

いくつも混在していることに興味を持ったからです。

他の宗教を排斥することなく、神道式の鳥居のある墓があったり、
墓石に十字架が彫ってあるどころか、
十字架そのものまで立っている仏教霊園が、
日本では珍しくないのです。

かつてローマ法王ヨハネ・パウロ二世が、

あらゆる宗教の平和的共存を呼びかけた演説を行ないましたが、

日本はそれを口で言うだけでなく、とっくに実行していることを、

自分たち自身がはっきりと自覚し、
進んで外国人に教えて
世界をもっと住みよい平和な場所に...

鈴木孝夫氏『日本人はなぜ日本を愛せないのか

----------------------------------------------
(注)ローマ法王 ヨハネパウロ2世 
あらゆる宗教の平和的共存.... NG


Knights of Malta: Members (PDF) --- pg.53

The Knights of Malta have their own Constitution and are sworn to work toward the establishment of a New World Order with the Pope at its head...
The Pope is telling us that HE IS God!
REMEMBER—NEVER WORSHIP A LEADER. IF YOU WORSHIP A LEADER, YOU THEN NO LONGER HAVE THE ABILITY TO RECOGNIZE WHEN YOU HAVE BEEN DECEIVED!
--William Cooper "Behold a Pale Horse" pp.86-91

In Cooper's book, "Behold the pale horse", Cooper pointed out that Pope JPII was a salesman of the chemical Zyklon B gas when he worked for IG Farben during WWII. That chemical was used to gas hundreds of thousands of Jews at Auschwitz.
Yet Ron Paul sent a public letter to Pope JPII praising him
as a "Pro Life figure"...Thomas Richards

THE SALESMAN AND A CHEMIST WHO BECAME POPE
"Karol Wojtyla - Pope John Paul Ⅱ(=ヨハネパウロ2世)  (PDF)  

THE POPE'S SECRET (PDF)

砂上の楼閣から脱出する

未来への提言として、『国富消尽』を取り上げる。

米国産牛肉輸入量が2倍強に急増、月間4000―5000トンとなる見込みだ。
食品業界 からの安易な輸入再開に反対した松岡氏の自殺 more
これを念頭に置き、食品に関しての提言箇所を抜粋した。

吉川氏は、日本人の思想体系の重要性を説いている。
江戸時代、日本人はフリーターだった で取り上げた
パオロ・マッツァリーノ氏の言葉
『心と知識が暴走するのを防ぐのが、思考力です。
思考力の訓練がすっぽり抜け落ちていることこそが、
日本の学校教育の最悪の欠陥なのです。』とリンクする。

    

国富消尽』 以下抜粋

関岡英之氏

米国が相手の国に何か要求するときに活用するのが
「トロイの木馬」戦術です。

日本国内で米国と利害が一致する著名人なり団体なりを見つけ出し、
徹底的にテコ入れをして、米国の要求を「日本の必要」として代弁させる。
つまり、”広告塔”として利用するというものです。

米国はそういう勢力を
「ドメスティック・アライズ国内の同盟者」と呼んでいます。

テレビや新聞で、「M&Aは日本経済を活性化する」
「いまどき外資脅威論は時代錯誤」
「外国人投資家に見捨てられたら日本はおしまい」
といった考えを広めようとしている人をよく見かけますが、
そういう論者もあるいは「トロイの木馬」なのかもしれない”と
疑ってみるべきだと思います。


「日本の消費者のためになる」「これは日本の国益にもなる」
などという米国の恩着せがましい言い草は、
米国が日本に内政干渉するときの常套的なレトリック
ですから、
聞き流せばいいのです。

日本構造協議で米国が要求したとおりに大店法を廃止したおかげで、
全国津々浦々の商店街が”シャッター通り”になってしまった。

米国の「消費者のため」というレトリックと、
「トロイの木馬」戦術に振り回され、
完全に向こうの轍(てつ)にはまってしまった。
-それがここ20年の「失われた日本」の本質だと思います。

BSE問題になると、
米国は「日本の消費者の味方」という仮面をあっさり脱ぎ捨てました。

「コストがかかるから検査はしないが、問題ないから黙って牛を買え」

それこそ消費者無視の身勝手な生産者の論理そのものです。

戦略物資でもある食糧の輸入についても、対米依存度は安全保障上、
危険水域といっても過言ではない状況です。
完全に生殺与奪(せいさつよだつ)の権を握られています。

食品の安全面からも、米国一国に過度に依存するのは
主権の存立に関わる問題だと
認識を刷新することが必要ではないかと思います。

アングロサクソンだけが「競争、競争」と口うるさく迫ってくる

一見、今は
米国の軍事力と経済力で、
米国的な価値観が世界を席巻しているように見えますが、

実はそれは
アングロ・サクソン側が大変なコストと周到な戦略で
築き上げ維持している砂上の楼閣
ではないかという気がするのです。

極端な「勝ち組」も生まない代わりに
極端な「負け組」も作らないことで社会の秩序と安寧を保ちながら、
共同体全体の幸福を追求するという価値観は、
世界的には圧倒的多数のものではないかと思うのです。

もともとアジアは、アラビア半島、インド洋、
東南アジアから東シナ海 まで一体となって交流していた。

それがバラバラにされたのは、欧米の帝国主義がアジアに侵略し、
分断統治するようになって以降のことです。

欧米諸国、特に今、米国が一番恐れているのは、
アジア人が大同団結すること

「個人対個人なら、米国人は日本人に勝つことはわけもないが、
集団対集団、組織対組織となると勝てない。
なぜなら米国人は、集団になると 誰もが内輪でリーダーシップを争い、
あるいは功を競って足を引っ張り合い、気が付いてみると 
集団で結束してことに当たる日本人に水をあけられている」

おそらく米国は、そのことを日米通商交渉のなかで学習したのでしょう。


そして日本人の集団主義に楔『くさび』を打ち込み、
個人主義という自分達の土俵に
引きずり下ろそうと考えたのではないか。

バブル崩壊のあおりで日本人が自信を失いはじめた時期、
米国の経済ジャーナリズムや日本経済新聞などが中心になって、
終身雇用や年功序列といった
日本的経営に対するネガティブ・キャンペーンが始まりました。

その結果、日本的雇用慣行が崩れ去り、リストラである日突然、
街頭に放り出されるようになりました。
さらに日本企業は、
米国系コンサルティング会社のセールス・トークに踊らされ、
こぞって「成果主義」という米国流の人事評価制度を導入しました。

成果主義では、チームワークではなく、
あくまで個人の貢献度が競わされます。

日本人が個人主義へとどんどん傾斜していき、
その最大の強みであった集団への一体感と忠誠心を失っていく。
孤独な個人が刹那主義に陥り、
世の中の出来事に対する当事者意識を失い、
外資に支配されて何が悪いという、
誇りなき時代精神を醸造している。
未曾有の国難といっても過言ではない、
国家の浮沈に関わる事態です。

今日の日本の国力の衰退の真因は、
まさにこの一点にあるのではないでしょうか。

この惨状から立ち直るには、米国的価値観への迎合から決別し、
我々の父祖たちが築き上げてきた歴史と伝統の価値を再発見し、
日本人が自信と誇りを取り戻す以外にありません。


ちょっとブレイク

同じ視点で、森嶋氏も警鐘を鳴らしていた。
森嶋通夫著作集13巻、14巻(以下抜粋)


戦後の日本には、アメリカ式教育が強制的に導入されたが、
このことが混乱をもたらした。

と言うより、日本人の精神の荒廃をもたらした。

占領軍は それまで支配的であった日本型儒教から
国家主義的な要素だけを取り除けば良かったにも拘わらず、
儒教そのものを捨てさせた。

たらいと一緒に赤児も捨ててしまったのである。

本人にとって
あまりにも無縁なアメリカ型個人主義を押し付けられた結果。

それは、「自分自身の良心に忠実でもなく、身を処するに厳格でもなく、
嘘もまた方便であると考え、
利益を得るためには人におもねって当然と考えるような、
倫理的自覚に欠けた土着的共同社会..」

新しい日本人は、
”自分勝手に自分の利益を追求する”
のが新しい生き方であるということの他は、

いかなる道徳的思慮もほとんど無い人間になってしまったのである。

日本人にとって道徳を尊重する必要が無くなり、
教育の高さは、知識の量だけで判別されるようになった。


日本の指導者達が多くの経済犯罪を犯し、事実が次々確認されている。

このような社会で、
それぞれ自己の理念を持つ諸政党の中から
一党を選挙で選ぶという意味の民主主義が生まれなかったのは当然であり、

日本における民主主義とは、
すべての思想的行動を排除するということに堕落してしまった。

そして現在では
自分の思想さえ選べないという不毛さが
社会に瀰漫(びまん)しているのである。

    

--アメリカがナイロンを売りたいために、麻製品を排除した歴史。

『ナイロンや石油化学繊維を売り込みたい石油化学産業にとっては、
大麻がじゃまになったのです。』
『アメリカ本国における石油化学工業の勃興と大麻に対する弾圧が、
戦後の日本にも、そのまま適用されたわけです。』

ナイロン⇒麻NG、牛肉⇒鯨NG Not Again!

ネガティブキャンペーンと共に、
日本人が日本人を辞め(させられ)ている現状。

コストがかかるから検査はしないが、問題ないから黙って牛を買え
←ジョークみたいで笑いつつも(現実なので)
日本の風土に合ったものを取り戻し、
ムリに接ぎ木されたものは ソッと手放す時期と感じます。

★     ★     ★

国富消尽』 以下抜粋

吉川元忠氏

グローバリズムというのは、

基本的にアメリカの都合から出てきたものです。
(正確にはアメリカを羽交い絞めにしている世界支配層から出てきた)

というのは、アメリカは赤字で、自分の国だけでは食えないからです。

グローバルにいろいろなところに
手をのばさなければやっていけないわけです。

企業価値とは、
その企業の株式の時価総額であるというのが、
グローバリズムの考え方です。

これは企業を売り買いするのに便利なように、
企業の値段をはっきりさせようという
アングロ・サクソン的な発想であり、
要はM&Aをやりやすくするための、
アメリカの都合に基づいているのです。

時価総額をイコール企業価値だといって絶対視する風潮に、
私は疑問を持たないではいられません。

会計制度の問題でも、
時価会計とか減損会計というアングロ・サクソンのルールを、
日本は不況の最中に導入しました。

これも結局は、
M&Aのために企業価値をはっきりさせろということですから、
本末転倒というしかありません。

これ以上、アメリカの都合に振り回されないためには、
アングロ・サクソンの価値観を
無批判に受容することをやめなければなりません。

たとえば企業社会で本当に大事なものは何か、
何が本当の価値なのかということを、
日本人自身が考えていかなければならないと思うのです。

迂遠(うえん)な話をするなら、

結局は思想の問題であって、
アメリカに対抗できる思想体系を
日本は持たなければならないと思います。

哲学や思想、そして『万葉集』や『源氏物語』といった
文化から民族の歴史までをも含めた巨大な思想体系、

あるいは経済思想の体系がなければ、だめだと思うのです。

もう少し一般的なことを言うと、
世界は大変な変わり目を迎えているという認識を持った上で、
戦略を立てる必要があります。

このままアメリカモデルを受け入れ続けて、
どんどんグローバル化を進めていった場合、
日本はアメリカの亜流のような国になるでしょう。

それでいて、バックス・アメリカーナ自体が相当問題を抱えていて、
とくに通貨の問題は深刻です。
日中というと対立関係だけが目立つけれど、
共通の利益を模索しようという考え方まで排除すべきではないと思います。

国際政治学者のジョセフ・ナイは、
自国の価値観を他国にとって望ましいと感じさせ、
協調を生み出す力を「ソフト・パワー」と呼んでいます。

日本のソフト・パワーは何かというと、
それは半導体やデジタル技術などではなく、
先ほど言ったように、最後は思想だと思うのです。

グローバリズム一辺倒の今、
それに対する対抗軸となるような思想を構築しようとしている人が、
世界的に見ればいるようですが、これは大変難しい。

でも、誰かがやらなければ、
アメリカ流のグローバリズムに世界は呑み込まれてしまいます。

日本がアジアに訴えるにしても、
最後はそういう思想が問われることになると思うのです。


    

TV(アホ)な仕組み  

森田実氏 時代を斬る 2007,05,26 以下抜粋

日本のテレビメディアを堕落させた最大の責任は、
自民党政権(現在は自公連立政権)と電通にある、
と言っても過言ではない。 

電通のブッシュ政権、小泉・安倍自公連立政権への追従、
日本国民総愚民化政策がテレビ局を堕落させている。


テレビ局側も、スタッフに電通のイエスマンを揃え、
電通好みの視聴率を取れる、
日本人の正常な常識と倫理観を破壊する
不道徳番組づくりに精を出している。


このテレビを
家庭の主婦、高齢者、青少年・幼児が朝から晩まで見続けている。


これが、日本の内面からの崩壊の最大の原因である。

電通の罪は限りなく重い。

    

日本はドイツとともに、資本主義体制を取りながら、
株主の力を排除して、少数のマネーの支配者だけではなく、
一般の社員や地域社会など
多くの人々が平等に生活レベルを向上出来るシステムを作り上げてきた。
このシステムは、経済成長の面でも大成功したために、
途上国なども導入するようになった。


危機感を強めたウォール街を縄張りとするマネー支配者たちは、
なんとか日本型経済システムを失敗させようと、


構造改革〕というを用意した。

彼らの”日本支局”が、円の支配者である”日銀”というわけだ。

    

松浦元男氏 ”人間を大事にすることで会社を守る”