江戸時代、日本人はフリーターだった

パオロ・マッツァリーノ氏『反社会学の不埒な研究報告』 以下抜粋

武士と書いてホモと読む

歴史劇や大河ドラマを放送すると、
歴史オタクは待ってましたとばかりに 「史実と異なるぞ」と
重箱の隅を突くような苦情をテレビ局に寄せると聞きます。

武士について調べていくと、避けては通れないのが
衆道(しゅどう)=武士と美少年とのホモ関係です。


それなのに、

時代劇で武士のホモっぷりが描かれることはほとんどありません。

にもかかわらず、なぜ歴史オタクはそれを指摘しないのでしょうか。

氏家幹人さんの『武士道とエロス』によれば、
忠臣蔵事件を 題材にした初期の芝居では、
吉良と浅野の反目も、
美少年 小姓(こしょう)の取り合いを原因としているのだそうです。

薩摩では
琵琶を伴奏に衆道物語が語られ、
主人公の美少年が登場すると、
感極まった観客が声を合わせて「チェストー!」
と叫んだとのこと。

明治31年の本富安四郎『薩摩見聞録』でも、
「薩摩の社会は公然これを父兄の前に談話して人あやしまず」
と書かれています。なんかすごい話です。

つまり当時の薩摩では、一家団欒の夕食の席で、

「父ちゃん、オレ、新しい彼氏ができたんだ」

みたいな話を息子が普通にしていたと考えられます。

☆ ☆ ☆

パオロ・マッツァリーノ氏のサイトでも一部読める箇所
ここでは 書籍版 『反社会学講座』から以下抜粋

事実はひとつ、解釈は無数

江戸時代の町人たちは、
経済発展などとは無縁でも、
適当に楽しく暮らしていたのです。

町人どころか武士でさえもろくに働いてはいません。

鈴木淳さんによると、
幕末の武士の勤務時間は10時から2時までで、
しかも間に 昼休みが1時間。
驚くことに、明治維新後も中央官庁の役人は、
同じ勤務シフトを明治19年まで続けていたのだそうです。

日本人がもともと勤勉な民族だったというのがウソッパチであると、
納得していただけたと思います。

古くは、平城京建設に駆り出されたものの
仕事がつらくて逃げ出した人たちがいました。

それがあまりに多かったので、
取り締まる専門の役所が必要になったくらいです。

当時の大人たちも、
「近頃の若いやつらは、仕事がつらいからって、すぐにやめやがる」
となげいていたのです。

今回私は、資料を見つけるのにけっこう苦労しました。

違法とまではいかないけれど、
不真面目でいいかげんなフリーターのような町人が
少なくなかったにもかかわらず、

そのことに触れている資料はごくわずかしかないのです。

その理由は明らかです。

江戸時代に関する資料や本を執筆した人たちが、
日本人勤勉神話に洗脳された現代人だからです。
しかもそのほとんどは中高年なのです。

彼らはこどもの頃から日本人勤勉神話を教えこまれ、
それを美徳として育ってきました。

ですから、

自分の常識からはみだしたものは、
見たくもないし、調べもしないし、書きもしません。


職人や商人が一人前になるまでどれだけ苦労したか、

なんて話は現代の労働美意識と合致するので喜んで書きますが、

その日暮らしを謳歌していたという事実は、
労働美意識に反するので無視します。


歴史的事実はたったひとつですが、
歴史の解釈は、

のちの世の道徳・倫理観によって異なるという見本です。

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株式日記と経済展望

『日本の歴史教科書は
キリシタンが日本の娘を50万人も海外に
奴隷として売った事は教えないのはなぜか?』 以下抜粋

歴史教科書などでは
キリスト教弾圧を単なる異教徒排斥としか教えていませんが、

信長にしても秀吉にしてもキリシタンに対しては最初は好意的だった。

しかし秀吉に 宣教師たちの植民地への野心を見抜かれて、

だんだん危険視するようになり制限を設けたが、

神社仏閣の破壊や日本人を奴隷として売りさばく事が
秀吉の怒りに触れて弾圧するようになったのだ。

現代にたとえれば

竹中平蔵などがキリシタン大名として

宣教師たちの手先となって働いているのと同じであり、

日本の銀行や保険会社などを
外資系ファンドなどに売りさばいてしまった。

戦国時代に日本の娘を奴隷として売りさばいたのと同じ行為であり、

竹中平蔵は高山右近であり、
アルメイダのような改宗ユダヤ人が日本乗っ取りを狙っている。

なぜこのような事実が歴史として教えられないかと言うと、

やはり

GHQなどによる歴史の改ざんが行なわれて、
キリスト教や白人などへのイメージが悪くなるからだろう。

もちろんキリシタン大名などの協力があったから
日本女性を奴隷として売りさばいたのだろうが、
彼らは日本人の顔をしたキリシタンだった。

からゆきさんの小部屋

明治~大正、30万人もの日本の若い女性が海外に売られていった。 
『「からゆきさん」の存在を
現在の日本の歴史教育から抹消しようとしているのは、
あまりにも非人道的な過去の日本の歴史だからだ。
それが分からなければ
戦国時代も明治大正と言う時代も正しくは理解できなくなるだろう。

キリストの居ない”キリスト教”
奴隷制擁護(NWO)VS豊臣秀吉とリンカーン

★ ★ ★

「働かざる者、食うべからず」は、
明治以降に、西洋文化とキリスト教にかぶれた人たちが
言い出したのです。

怠惰を罪にしたのは
キリスト教と西欧の金持ちです。

日本人は高度成長期に魂を売った
現在、日本中で鉄筋コンクリート建築が崩壊の兆しを見せています。

小林一輔さんのコンクリートが危ないによれば、
そういった手抜き工事のほとんどが、
東京オリンピック(昭和39年)以降の
高度成長期に作られたものだとのことです。

材料をケチり、工期を短縮し、
ただひたすら純利益をあげることにのみ邁進する。


これが高度成長期の「勤勉」の正体だったのです。

どんなインチキ仕事でも、やっつけ仕事でも、
数さえこなして金が儲かりゃいいんだ。
会社は慈善事業じゃねえんだよ――

高度成長期とは、
職人気質がカネの力に負けた悲しい時代でもあったのです。

江戸時代、日本人はフリーターだった

杉浦日向子さんの一日江戸人によれば、
江戸時代、生粋の江戸っ子の中には
定職に就かない人間がずいぶんいたということです。


結婚して子供がいる男でさえ、
食う物がなくなるとひょこっと町に出ていって
薪割りなどをやって日銭を稼いでいました。
まさに食うために必要なだけ働くという生き方ですね。

当時、世界的にも非常に人口の多かった江戸という都市では、

仕事を細分化することでワークシェアリングが実現されていたのです。

そしてアルバイトが職業、生き方のひとつとして認められていました。

現代のオランダが導入して成功し、
オランダモデルと呼ばれるようになった雇用対策が、
江戸の町で すでに行われていたのです。
日本は雇用形態の先進国だったのです。
日本人はこの歴史的事実を世界に誇るべきです
(世界に誇る江戸

大工や商人のような、
長年の修行が必要な職業についても触れておきましょう。

江戸時代の職業観、労働観は、
現代とはかなり異なっていました。

大工にしても、毎日真面目に働くということはあまりなかったらしく、
みんな自分の懐具合に応じて
仕事に行ったり休んだり、適当にやっていたのです。

大工は雨の日は仕事にならないというのは いまも同じですが、

江戸の大工はもっとわがままです。


夏場は暑いといっちゃ休み、
冬場も今日は寒いからやめたとか

悪くいえば怠け者ですが、

良くいえば人間らしい生き方であります。

こういう偉大な先祖を持つ日本人は、やはり素晴らしい民族です。
日本人は自らの歴史と祖先をもっと誇るべきです。


昔はよかった。たしかにそうです。
西洋文明のサルまねを始める以前の日本人の生き方は、
本当に素晴らしかったのです。

明治時代に、
日本人は勤勉奴隷労働の区別がつかなくなりました。

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「粗大ゴミ」を癒す「可愛い」女性たち(日本社会)

終電まで働いても、誰も異常だと思わないし、思っても言わない。
だが、そうした状態が異常であることを認識し、
声を大きくして自分の生活を守る

勤勉だと自慢することは良いことだ。
だが、勤勉の裏返しが、個人の生活の犠牲であるのならば、
自慢どころか恥じるべきことである。

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パオロ・マッツァリーノ氏

イヤな仕事はすぐやめて、
楽そうな仕事、おもしろそうな仕事に就く。
これは、いまに始まったことではないのです。


捏造民族観に洗脳された方は、
この事実を不愉快に受け取ることでしょう。

しかし、私の提唱する
「人間いいかげん史観」に則(のっと)れば、

当然のこととして理解できるのです。

イヤなことをやめるというのは、
人間の本性です。自然な姿です。


そこには自然淘汰の力がはたらいているのです。