日本社会-- 家庭-- 父親の不在 断想
Aaron Russo アーロン・ルッソ Video
ロックフェラーとの会話を語る
ウーマン・リブの裏にある意図
【ウー マン・リブの雑誌"Ms." にCIAが資金を出していた】と
グ ロリア・スタイナムと もう1人が認めた。
【女性に課税する】ことと、【家族を壊す】ことを目標として...
『俺たちがウーマン・リブを後押 ししたんだ。
俺たちロックフェラー財団が 全部の新聞やTVで取り上げた。
主な 理由は 二つ。
一つめは、【ウーマン・リブ以前は、人口の半分に課税できなかった】
二つめは、母親が仕事に行くので、
今や子供たちは
早くから 学校に通う。
【子供たちを家族から引き離して 子供たちの考え方を 好きなように出来る】
親が教える代わりに 学校が家族になり
子供たちにとって 教師が 家族になる。』
そ れらが ウーマン・リブの主要な目的だった。
『彼らエリートは 彼女たちを助けるどころか
実は もっとひどい目に遭わせて彼女達から 男を取り上げたんです。
黒人社会を見てごらんなさい。
50 年前には 私生児の割合は10%だったけ ど、
今 や 90%以上です。
家族がこのようにすっかり崩壊させられ、
総 人口で見ても私生児の割合は50%以上で す。』
★ ★ ★
学校生活で作られた” 自分の仮面”を はずす
ジョン・テイラー・ガッ ト 『バ カをつくる学校』 訳:高尾菜つこさん 以下抜粋
★ロックフェラー総合教育委員会
使命記述書(マニュフェスト)1905年
『我々の夢は、人々が我々の作る型に おとなしく身を委ねることである。
我々の使命はごく簡単である。
子供たちを組織 化し、
彼らの親が不完全な方法でやっていることを、
彼らには完全な方法でやるように教えることだ。 』
最初に学校制度の構想 をまとめたのは、教育改革者のホーレス・マン、
シ カゴ大のハーパーとシアーズ、コロンビア教育大のソーンダイク
といった人々で、その目的は”大 衆を厳しく管理すること”だった。
つ まり、学校は
公式どおりに行動する人間、
コ ントロール可能な人間を生み出すために作られたのである。
こ の役割は見事に果たされ、社会ではますます階級化が進んでいる。
そこでは、「支配階級」だけに自立と個性が許され、
それ以外の大衆は 問題にされない。
義務教育はますますエスカレートし、子供たちを地域社会から遠ざける。
子供の教育を、”専門家” に委(ゆだ)ねることで、
地域社会を崩壊さ せ、子供を成熟した人間にさせないようにしているのだ。
アリストテレスによれば、
『人は、地域社会で積極的な役割を果たさないかぎり、
健 全な人間には なれない』
彼の考えが正しかったことは、
学校や 老人ホームを見れば、明らかである。
子 供たちは、大人の世界や将来に無関心で、
ゲー ムや暴力といった気晴らし以外、ほとんどすべてに冷めている。
ゆがんだ学校教育は、望ましい人格形成を妨げている。
実際、学校や教師が 生き延びているのは、
子供たちの、こうした” 未熟さ”のおかげである。
その証拠に、
批判的思考の手段 《論 理や自由な発想》
を教えようとする勇敢な学校は、
どこも長続きせず、やがて破綻してしまう。
皮肉なのは、学校教育に必要な”意識改革”を行なうと、
新しい学校は今よりずっと金のかからないものになるため、
利 権者が改革に消極的だということだ。
彼らにとって、”教育はビジネス”であり、
たとえ子供の育成に役立つとしても、そのために業務を縮小したり、
商品を多様化させたりして、利益 を削ることは出来ない。
★90年間にわた る着実な繁栄(?!)
1980年代か ら1990年代にかけての好況期、購買力が増したのは
実は人口の20%で、残りの80%は逆に13%減少した。
実際、そこにインフレの要因が加わると、
1995年の共働き夫婦の購買力は、
1905年の単身男性労働者のそ れを 8%上回るだけだった。
繁栄に対する実態は、両親を家庭から遠ざけ、
子供たちを託児所や商業的娯楽施設といった管理体制に 放り込ませた。
子 供たちをクラス分けし、
互 いに対立させることによって、階級構造を確立した。
そして、富と権力を一部の人間に 危 険なほど集中さ せた。
★依存的で無目的 な生き方に
弱者を守る地域社会 は衰退し、孤独なネット社会だけが生き残る。
従うことに慣れた人々は、自分の頭で考えることを知らない。
要 するに、
他人に対しても、自分 に対しても、役に立たないのである。
こうした悲劇の原因は、
30年前にポール・グッドマンが言ったように、馬鹿げた学校制度にある。
子供たちの生活は、二つの習慣に支配されている。
それは「TV」と「学校」である。
今の子供たちには、一人前の大人になるための知恵を学ぶ時間が無い。
裕福な家の子供は、TVを見る時間が少ないが、その代わりに彼らは
「意 に沿わない習い事」に追われている。
彼らは自分の時間の使い方 がわからず、
自己の存在の意味も、目的も、
そ の喜びもわからない。
この 依存的で無目的な生き方は、国民的な病気である。
そ れは、「学校」「TV」「習い事」と深い関係があるはずだ。
深刻な社会問題ーー麻薬や暴力、愚かな競争、性の乱れ、ギャン ブル、
アルコール、そして金品の執着
--もまた、実は ”依存的な人格”による病気で あり、
学校教育の産物にほかならない。
★ウェンデル・ベリー(思想家)の言葉
グローバルな考え方をする人というのは、
世界を ただ抽象的な数字によってとらえているだけである。
政治家や実業家はとくにそれが上手で、
彼 らの抽象的な考え方や貪欲さは、常に”破壊”をもたらす。
正 しい行い・生き方とは、
アレグザンダー・ ポープの言う
「土地神」に受け入れられるものでな ければならない。
これには 地域の知識 地域の技術、
そ して、グローバル志向の人間には無い”地域への愛”が必要だ。
★己を知る
国の解決策ではなく、地域社会に目を向け、
みずからの内面を見つめ「己 を知る」 ことである。
健全な社会とは、 「親しき仲にも礼儀あり」の格 言どおり、
誰もがお互いの違いを理解し、尊重することのでき る社会である。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「粗大ゴミ」を癒 す「可愛い」女性たち(日本社会)
『「弱い」日本の「強がる」男たち』 宮本政於氏(精神分析医) 以下抜粋
”滅 私奉公”の発想は、子供を犠牲にするだけでは なく、
組織のためにと滅私奉公している本人までダメにする。
日本で生まれた「粗大ゴミ」病は、先進国全部を汚染してしまう。
終電まで働いても、誰も異常だと思わないし、思っても言わない。
だが、そうした状態が異常であることを認識し、
声を大きくして自分の生活を守る、
これが「粗大ゴミ」病の伝染力を減退させることにつながる。
勤勉だと自慢することは良いことだ。
だが、勤勉の裏返しが、個人の生 活の犠牲であるのならば、
自慢 どころか恥 じるべきことである。
個人の犠牲の上 に成り立った繁栄は、
生活を後回しにする国だ という証拠である。
「信じること、疑わないことこそ日本人」
もしもこうした発想が心の奥にあるのであれば、
それ自体、疑ってみる必要がある。
なぜなら、この発想こそ「服従」 が昇華したものであるからだ。
上 司、先輩、先生などと呼ばれる人たちの価値観に挑戦してみよう。
どうして「強がる」男 たちに支配されてしまったのかを知る必要がある。
「心理的な去勢」教育を受けてしまっ た--それが結論だ。
彼らは国民を弱い人間としておきたいのだ。
支配する側に立ってみれば、
そのほうが楽であることは誰にでもわかるだろう。
「心理的な去勢」とは国民を弱い存在にしておくための催眠術だ。
でも、催眠術だから、その呪縛から自分を解くことも簡単だ。
「自 己主張」がその答えである。
自 己主張は、強い自分を作るための練習となる。
常 に現実から目を背(そむ)けない。
これは自分の気持ちに忠実に行動することでもある。
「わがままだ」などという批判を気にしてはいけない。
--「粗大ゴミ」的環境に染まってしまうと、
平日に家族と一緒に食事をとるの はほとんど不可能となる。
父親 不在の家庭は、親離れ、子離れができない、
いびつな母子関係を作り出す。 --
☆ ☆ ☆
『「内づらと外づ ら」の心理』 加藤諦三氏 以下抜粋
過保護の場合、親が子供を可愛がるのは、
「子 供が自分の支配に服するかぎり」においてである。
これを子供の側から言うとどうなるか。
「自分が親に忠誠をつくすかぎり」ということになる。
過保護は、
その子のありのままの「自己」を激しく拒否している。
その子が自己喪失して、忠誠を誓い、
従順であるかぎりにおいて保護し、受け入れる。
自己喪失した子に、親は満足する。
外から見ると平和で立派な家庭である。
時には理想的にさえ外には見える。
しかし、保護、忠誠、満足、自己喪失の家庭は病んでいる。
その集団としての家庭の病気は、
や がて
ある特定の子供を通して表面化し てくる。
子供は、自分の本質を拒否している人間に対して忠誠を誓う。
そして病んでいく。
内づらが悪くて外づらがよい人は、
自分の内面が二つに分化し自我の統一はなされていない。
今まで自分の育った環境が
自我の形成に障害になっていたということを認識し、
違った環境、
つまり自我の形成に良い環境を選ぶことに専心するのが何よりであろう。
自我の形 成に良い環境とは、
何よりも情緒的に成熟した人々の いるところである。