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Voltaire 用心深い人は自分のために善をなし、有徳者は他人のために善をなす

哲学とは 決して机上の空論をもてあそぶものではなく、
今日と明日の生き方を考えるものであり、
サヴァイバル(survival=生き延びること)の
ノウハウ(know-how=実際的な専門知識 世渡りの方法)なのである。
考えることは哲学を生み、果ては「陰謀」に続くものである。
この二つは 完全に一体をなす。
(林秀彦氏『日本人はこうして奴隷になった』より)
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Voltaire (21 November 1694 – 30 May 1778)
was a French Enlightenment writer, essayist, and philosopher

ヴォルテール『哲学辞典』訳:高橋光安氏 抜粋・編集
PHILOSOPHICAL DICTIONARY
Dictionnaire philosophique pp.340-342 原文のまま

徳とは なんであるか。
What is virtue?
Qu'est-ce que vertu?

隣人に対する 善行である。
Doing good to one's neighbour.
Bienfaifance envers le prochain.

あなたが 貧乏な私に恵みを与え
I am poor, you are liberal;
]e fuis indigent, tu es libéral.

私の危険を助け
I am in danger, you come to my help;
Je fuis en danger, tu viens à mon fecours.

だまされた私に 真実を告げ
I am deceived, you tell me the truth;
On me trompe, tu me dis la vérité.

除(の)け者の私を なぐさめ
I am neglected, you console me;
On me néglige, tu me confoles.

無知な私を 啓発してくれるならば
I am ignorant, you instruct me:
Je fuis ignorant, tu m'inftruis.

私は 文句なしに 
あなたを 有徳者 と呼ぶであろう。
I do not find it difficult to call you virtuous.
Je t'appellerai fans difficulté vertueux.

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しかし、キリスト教基本徳目(枢要徳 対神徳)はどうなるのだろうか?

そのいくつかの徳目は 学校の中に 残るであろう。

But what about the cardinal and theological virtues?
Some will remain in the schools.
Mais que deviendront les vertus cardinales & théologales ?
Quelques-unes refteront dans les écoles.

あなたが 節制家であろうと、私にはどうでもよい。
キリスト教徳目は あなたを導くのに役立つすぐれた資質である。
だが、それらは あなたの隣人との関係における徳ではない。

What do I care whether you are temperate?
Your cardinal virtues are excellent qualities

which help to guide you,
but they are not virtues in respect of your fellow man.
Que m'importe que tu fois tempérant ?
tes cardinales font d'excellentes qualités qui fervent à te conduire :
mais elles ne font point vertus par rapport à ton prochain.
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用心深い人は 自分のために 善をなすが、
有徳者は 他人のために 善をなす。
The prudent man seeks his own good,
the virtuous man does good to others.
Le prudent fe fait du bien,
le vertueux en fait aux hommes.

慈善は 信仰や希望にまさる、と言った聖パウロは正しかった。
Saint Paul was right when he told you that
charity outweighs faith and hope.

St. Paul a eu raifon de te dire que la charité
l'emporte fur la foi & fur l'efpérance.

われわれは 社会に生きているのである。
We live in society,
Nous vivons en focièté ;

だから、社会の善となるものだけが 
われわれにとって 真実の善 である。
so there is no true good for us but
what is good for society.
il n'y a donc de véritablement bon pour nous
que ce qui fait le bien de la foc! été.

人間同士の徳は 善行の交換である。
Virtue between men is a commerce of beneficence.
La vertu entre les hommes eft un commerce de bienfaits ;

この交換に なんら参加しない人間は 問題外である。
No account should be taken of any man who had no part
in this commerce.
celui qui n'a nulle part à ce commerce ne doit point être compté.


聖者も 俗界にあれば、おそらく 善をなすであろうが、
そこにいないかぎり、
世人(せじん=世間の人)が 
有徳者の名を 彼に与えないのは 当然であろう。
If this saint were in the world he would no doubt do good in it;
but so long as he is not,
the world will be right not to call him virtuous:


Si ce faint était dans le monde, il y ferait du bien fans doute ;
mais tant qu'il n'y fera pas, le monde aura raifon de fie lui
pas donner le nom de vertueux ;

彼は 彼自身にとって善であろうが、
われわれにとって そうではない。
he will be beneficial to himself, and not to us.
il fera bon pour lui, & non pour nous.

    

斉藤信義氏 『慈悲の坐禅を生きる』 以下抜粋

「智慧」「慈悲」とは両翼

祈祷で般若心経のなかに、「」という考えがありますね。
の一つの解釈は「中道ですが、
その中道の一方が「智慧」であって、もう一方が「慈悲」です。

智慧」というのは、物事を正しく見て、
現実を受け止めていくということです。

お釈迦様の教えがそうだと思うんですね。
正しくものを見る。

これは結局、DNAの問題です。
DNAで できているということ、
それをどう見ていくかということになります。

慈悲」の裏付けが無かったら、
智慧」が悪用されていくということを知らなければなりません。
倫理」の問題ですね。

私たちの命というものを考えるんです。

人さまのおかげだし、天地の恵みで、
すべてのあらゆるもののおかげ、そのことをきちっと認めること。
そのように生かされている自分ですから、
お返ししなければならないということですね。

悪用しないということは、
人さまのために役に立たなければならないし、
また 自然 がそうなっているんじゃないかということですね。

われわれが頭を下げずに、
いろいろなことを言ってもおかしいじゃないかということです。

近代世界なら、なおさら、そういう智慧の限界というものを 
きちっと知ることが必要になります。

柳澤さんも稲盛さんもおっしゃってますが、
DNAから言えば、死ぬ準備であると同時に、
死んでからどうするかという「智慧」が大切です。

生きて死ぬ智慧であり、死んで生きる智慧 
それが日本人の仏教の信仰だろうと思います。

弘法大師は、なぜ高野山をつくったのか。

もういっぺん生きるためですね。
死んで生きるということだと思うんです。

現に、死んでもDNAは残るわけでしょう。
死んで生きる「智慧」が 「般若心経」で、
お釈迦様の教え」なのだと思います。

↓↑

 「中流に明日はない」   クーリエジャポン #30

アメリカ (妖怪)CEOの世界 Barbara Ehrenreich

株価が下落しても、CEOの給与は増える。
彼らは賃金をできるだけ低く抑え、
特に組合の無い場合には いくらでも低くし、
一方自分たちの報酬は釣り上げる。

しかもその額は青天井だ。

2001年から2004年迄に、

上位10%の家庭で、所得が6.1%増の平均3億7千万円になった。

少数の恵まれたエリートであるCEOたちへの巨額の報酬は、
略奪に他ならない。

--1%の金持ちが国内の富の半分以上を所有する一方、
6人に1人が貧困線以下で生活--

アッパーミドル階級であれば、子供は公立学校には行かない、
週末に地域の公園を利用することもない、
公共交通機関にも乗らない。
他の階級の人と関わる必要は無い。みごとに壁で隔てられている。

CEOは、出来るだけ多くの従業員を堂々と解雇し

移民を受け入れることで 骨の髄まで搾取できる人々を確保する。

移民問題の多くは責任転嫁そのものだ。

ブッシュ政権が最も大きな成功を収めた分野の一つは、
リスクを個人に移したことだ。

保険の概念がまるごと崩壊しつつあるのも一例である。

保険会社は、津波を恐れて、もはや沿岸部の保障をしたがらないし
病気にかかるかもしれない人には、健康保険を提供したがらない。


ゴールドマン、記録的ボーナスの背信 '09,06,25 Newsweek
ゴールドマン・サックスの今年のボーナスは、
同社140年の歴史のなかでも最高額に達する見込み。


    

1945年 7月29日に 米軍機から撒かれたビラ
『証言 2008 ヒロシマ・ナガサキの声 第22集』
遺稿 私の原爆体験記  山田勝美氏(当時16歳)

『舞い落ちてきた ビラ』

戦争も 終末に近づいていた近くの川で 魚を釣っていた時、
空から 紙片が ヒラヒラと舞い降りてきた。

それは 小さなビラで 時計の中に 

日本の国が印刷されており

時計は12時5分前を 指していた。

びっくりした2人は それを持ち帰り 皆に見せた。

米軍機から撒かれたビラも その図もあまり ピン と来なかった。

それから10日後に 原爆落とされようとは夢にも思わなかったからだ。



ビル・トッテン氏#775 拝金・成長主義が問題 抜粋

米国には、世界滅亡の日に向けて
時を刻み続ける「世界終末時計」なるものがある。
核による世界滅亡の危機を示すため、1947年、シカゴに設置された。
この時計が去る1月に2分進み、
世界の終末を示す午前零時までにあと5分になったという。
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米国の大学院で学んでいた時、
経済学の教授から『論語』を読むようにいわれた。

そこで孔子の「弱者が困らないように強者は配慮すべきだ」という、

トップが悪いことをしないようにする教えを知った時は新鮮だった。

なぜなら米国は、

当時からまったくその逆のことを教える国だったからだ。

宗教としてのキリスト教は人々に「人間は生まれつき罪を背負っている、
だから貧しい生活は当たり前であり、自分が悪いのだから我慢しなさい、
その代わり死んでから救ってあげよう」と説いた。
搾取される側の人々に、我慢をさせるための教えだった。

今でも米国
イエス・キリストの「汝の敵を愛せ」という言葉の反対を行う国である。

テロ国家と定めれば、愛するどころか侵略し、
爆撃をおこなう反キリストの国なのだ。
国家の持つ宗教的な教えはその社会の仕組みと深くかかわる。

だから米国は先進国の中でもっとも貧富の格差が大きく、

1%のお金持ちが国内の富の半分以上を所有する一方で、

6人に1人が貧困線以下で生活をしているのだ

孔子や儒教を時代遅れと捨て

米国のやり方を導入し始めた日本で、


強者(企業)が配慮を忘れたのは偶然ではない。

企業だけでなく、
個人が物質的な便利さ、豊かさを求めすぎ

機械にばかり頼るようになることが、
有限である空や大地を汚し、

それが「世界終末時計」を破局まで5分に推し進める。

キリスト教のいかにも米国らしい終末思想で、
その時計を進めている一番の原因は拝金主義、成長主義であり、


それが人の心と社会を同時に崩壊させている。



ホームレス男性を襲撃=鉄パイプで頭殴打-
脳挫傷などの重傷を負わせた疑いで中3逮捕 '09,07,03 時事

生徒らは近くの高速高架下で寝ていた男性にコンクリート片を投げ、
追い掛けてくると、「死ね」「生きている価値がない」
などと言いながら角材をぶつけ、 顔に消火器を噴き付けるなど...


スカスカの住宅セーフティネット”ネット?見えん”

高島一夫氏 『世界の借家人運動』(日本居住福祉学会)
現在日本には約2万5千人以上の野外就寝者、
ホームレス層が暮らしており、大阪だけでも約1万人と言われている。
本来「ホームレス」の定義は、
「日常的に住まいに安心して住み続けられない状態の人」を指し、
--不当な非人間的な立ち退きを迫られている人、
--劣悪な住宅や住環境、
--および過密居住に苦しんでいる人も含まれている。
-- 借家人だけでなく、 全国民の社会的権利である
「居住の権利」が脅かされている。
1992年の借地借家法改正に見られた、
民間活力導入による経済的弱者切り捨て、
民間借地借家人立ち退き促進政策を引き継ぐ、
経済優先・福祉切り捨て政策の一環なのである。

    
Treat Hamas Like Japan in World War II: Israeli Politician proposed a "solution"
THE SECRET HISTORY OF THE ATOMIC BOMB
By Eustace C. Mullins /
The belief that Hiroshima and Nagasaki were military targets...Thus, between the two cities, 4.4% of the total death toll was made up of military personnel. In short, more than 95% of the casualties were civilians....In fact, many thousands of the Hiroshima casualties were children sitting in their classrooms.
...This demoralization through the nuclear weapons program
is the undisclosed reason for the decline in public morality.


森嶋通夫著作集13巻、14巻 抜粋

戦後の日本には、
アメリカ式教育が強制的に導入されたが、このことが混乱をもたらした。

と言うより、日本人の精神の荒廃をもたらした。

占領軍は それまで支配的であった日本型儒教から
国家主義的な要素だけを取り除けば良かったにも拘わらず、
儒教そのものを捨てさせた。
たらいと一緒に赤児も捨ててしまったのである。

日本人にとって
あまりにも無縁なアメリカ型個人主義を押し付けられた結果

それは、「自分自身の良心に忠実でもなく、身を処するに厳格でもなく、
嘘もまた方便であると考え、
利益を得るためには人におもねって当然と考えるような、
倫理的自覚に欠けた土着的共同社会..」

新しい日本人は、”自分勝手に自分の利益を追求する”のが
新しい生き方であるということの他は、
いかなる道徳的思慮もほとんど無い人間になってしまったのである。

日本人にとって道徳を尊重する必要が無くなり、
教育の高さは、知識の量だけで判別されるようになった。

日本の指導者達が多くの経済犯罪を犯し、事実が次々確認されている。
このような社会で、それぞれ自己の理念を持つ諸政党の中から
一党を選挙で選ぶ
という意味の民主主義が生まれなかったのは当然であり、
日本における民主主義とは、
すべての思想的行動を排除するということに堕落してしまった。

そして現在では自分の思想さえ選べないという不毛さが
社会に瀰漫(びまん)しているのである。

    

幕末維新--家具無し混浴、畳付 --幸せでごじゃる

ヴォルテール 『道徳は一つ』Morality is one, it comes from god.Dogmas differ, they are ours.

Voltaire (21 November 1694 – 30 May 1778)
was a French Enlightenment writer, essayist, and philosopher


ヴォルテール『哲学辞典訳:高橋光安氏 抜粋・編集
PHILOSOPHICAL DICTIONARY

Dictionnaire philosophique pp.105-106

正と不正 Juste (Du) et de l'Injuste

正と不正についての感情を われわれに与えたのは誰か?

脳と心臓を われわれに与えた神 である。

つつましく物乞いする貧者を殺したり 眼をくりぬくよりも、
余分のパンや米やマニホット(タピオカ)を彼に与えるほうがよいことは
あなたがた すべてが ひとしく認めていることである。

恩恵serviceが 陵辱(りょうじょく)injuryより正しく、
温情gentlenessが 憤激angerより好ましいことは、
全地上において 明白である。

誠実と不誠実の 微妙な違いを区別するためには
我々の理性を用いることだけが もはや問題なのである。

善と悪は 隣りあっている。
Good and evil are often allied.
Le bien et le mal sont souvent voisins;


われわれの情念が それを混同するのである。

情念=感情が刺激されて生ずる想念(心の中に浮かぶ考え)
Our passions fail to distinguish between them.
nos passions les confondent:

われわれを啓蒙(けいもう)するのは 誰であろうか?

啓蒙⇒もやもやして見分けがつかないもの(蒙)を ひらく(啓)
=正しい知識を与え、合理的な考え方をするように教え導くこと
Who will enlighten us?
qui nous éclairera?

それは、 冷静なときの われわれ自身である。
We ourselves, when we are calm.
nous-mêmes, quand nous sommes tranquilles.

われわれの義務について書いた誰もが 世界中の国々で
立派な書物を著(あらわ)してきた。
なぜならば 彼らは 理性に従ってのみ 執筆したからである。
Whoever has written about our duties has written well
in every country of the world, because he wrote only with his reason.

Quiconque a écrit sur nos devoirs a bien écrit

dans tous les pays du monde, parcequ'il n'a écrit qu'avec sa raison.

ソクラテスとエピクロス、孔子とキケロ、
マルクス・アントニウスとアムラト2世は、同じ道徳を持っていたのだ。
They have all said the same things: Socrates and Epicurus,
Confucius and Cicero, Marcus Antoninus and Amurath Ⅱhad
the same morality.

Ils sont tous dit la même chose:

Socrate et Épicure, Confutzée et Cicéron,
Marc-Antonin et AmurathⅡ ont eu la même morale.

あらゆる人々に 毎日 繰り返して言おう。
Let us repeat every day to all men:
Redisons tous les jours à tous les hommes :

「道徳は 一つであり、それは 神に由来する。
Morality is one, it comes from god.
La morale est une, elle vient de Dieu ;

教義は異なり、それらは われわれに由来する」と。
Dogmas differ, they are ours.
les dogmes sont différents, ils viennent de nous.



イエスは 形而上学的教義を なんら示さず
Jesus taught no metaphysical dogma at all.
Jésus n'enseigna aucun dogme métaphysique ;

神学上の覚え書きも まったく 著さなかった。
He wrote no theological exercises.
il n'écrivit point de cahiers théologiques ;


--修道士や 異端尋問官もつくらず、
今日 われわれが眼にすることは 何も 命じなかったのである。
He instituted neither monks nor inquisitors.
He commanded nothing of what we see today.

il n'a institué ni moines ni inquisiteurs ;
il n'a rien ordonné de ce que nous voyons aujourd'hui.



神は、キリスト教に先立つ あらゆる時代に
正と不正の知識を 与えてくれた。
God had given knowledge of right and wrong in all the ages
that preceded Christianity.
Dieu avait donné la connaissance du juste et de l'injuste
dans tous les temps qui précédèrent le christianisme.


神は けっして変更しなかったし、変更することもできない。
God has not changed and cannot change.
Dieu n'a point changé et ne peut changer :

われわれの魂の根源、理性と道徳の原理は 
永久に 同一であろう。
The essential of our souls and of our principles of reason
and morality will eternally be the same.

le fond de notre ame, nos principes de raison et de morale,
seront éternellement les mêmes.

神学上の区別、その区別にもとづく教義、
その教義にもとづく迫害は、
善徳にとって なんの役に立つのであろうか?
Of what use to virtue are theological distinctions, dogmas based
on these distinctions, persecutions based on these dogmas?

De quoi servent à la vertu des distinctions théologiques,
des dogmes fondés sur ces distinctions, des persécutions fondées
sur ces dogmes?

自然が--これらあらゆる野蛮な作為にぞっとして
猛然と反発し
--すべての人間に 大声で叫ぶ
Nature, frightened and aroused with horror against all these
barbarous inventions, cries out to all men:

La nature, effrayée et soulevée avec horreur contre
toutes ces inventions babares, crie à tous les hommes :

「公正であれ。詭弁(きべん)を弄する(=操る)迫害者たちになるな」と。

詭弁(きべん) =道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。
'Be just, and not sophistical persecutors.'
Soyez justes, et non des sophistes persécuteurs.



ゾロアスターの掟を集約した『サデール』の中に、
次のような賢明な格言を読むことができる。
In the Sadder, which is the abridgement of the laws of Zoroaster,
you can read this wise maxim :
Vous lisez dans le Sadder, qui est l'abrégé des lois de Zoroatre,
cette sage maxime :

「人が汝(なんじ)にすすめる行為の正、不正が確かめられないときは
汝(なんじ=あなた)自ら(みずから=自身を つつしめ」。
'When it is uncertain whether an action you are asked to take is
right or wrong, abstain'

'Quand il est incertain si une action

qu'on te propose est juste ou injuste,
abstiens-toi.'

かつて 誰がこれ以上に素晴らしい規則を与えてくれただろうか。
いかなる立法者が これ以上立派に述べただろうか。
Who has ever proposed a more admirable rule?
What legislator has spoken better?
Qui jamais a donné une règle plus admirable?
quel législateur a mieux parlé?

そこには、イエズス会と称する人々がでっち上げた
*蓋然的(がいぜん=ある程度確実)な見解の体系は無いのである。
This is not the system of probable opinions invented by people
who call themselves the Society of Jesus.

Ce n'est pas la le système des opinions probables, inventé par
des gens qui s'appelaient la société de Jésus.



イエズス会士たちによる 宗教的迫害のモランジェ事件に際して
ヴォルテールが書いた『正義に関する蓋然性についての試論』の一節

「私には 半真理も *半確実性も 無いように思える。
物事は 真理か虚偽であり、その中間は存在しない。」


--想起:Trained by the Jesuits but later turning on them,
Voltaire
had this to say about their occupancy in France:
"I really must plume myself for having been the first to attack the Jesuits...Once France is purged of the Jesuits, we can hope that people will realize how shameful it is to be subject to that stupid power, the Church, that set them up." source

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--想起:「考えない」 という選択

小泉龍司氏&森田実氏 対談 抜粋
http://www.ryuji.org/broadcast/dialogue_001/index.html
日本は、平地が非常に少ない資源小国です。
何をしなきゃならんかと言うと、助け合いなんですよね。
日本は助け合いでしか生きていけない国なんですよ。

調和することを通じてですね、日本人は協力し合い助け合い、
そしてそこに道徳が生み出され、常識が生み出され、
この道徳と常識というものを2つの軸にして、
日本という共同体が成り立ってきたわけです。

そしてそれをカバーするのが法律だったんですよ。

ですから、法律と道徳とそれから、常識。
道徳と常識は長い間の日本人の歴史が作ってきたものです。

これをきちんと置いてかないと社会は崩壊するわけです。

ここに、最近の自由主義思想の大きな失敗があるんだと思うんです。  

--想起:キリストの居ない”キリスト教”

『インディアンの大予言』サン・ベア&ワブン・ウインド 
訳:加納眞士氏/三村寛子さん

宗教的指導者たちは、

その宗教に属さない者は誰でも、
生贄(いけにえ)となるべき格好の獲物であると教えている。

中村元対談集Ⅳ 日本文化を語る以下抜粋

中村元氏
「宗教」はもともと仏教の言葉であり、「宗」と「教」とは違う。
「宗」というのは、もとのもの。
これは言葉では言えない言語表現を超えた根本のものである。
それを人々に説く時に「教」になる。
「教」は、時によっては 不適当になれば変えてもいい。捨ててもいい。
けれど、そのもとのもの、これを無視してはならない。  

梅原猛氏
日本の場合、何かそのもとにある「宗」と、
出てきた教えとは、だいぶ違っている。
もとにあるものは、日本人の生活に溶け込んでいて、
それは必ずしも言葉や思想として表現されない。
それを大切にすることが一番大事だと私も思います。

もと というのは、人類の最も古い宗教じゃないでしょうか。
旧石器時代の人類にとって普遍的な宗教ではないかと思います。

そういうものにもう一度、人類は返らないと、

宗教が逆に対立を助長する。

そういう意味では、日本人の精神生活の根底に、
人類の最も古い、「宗」の宗教が残存している。

私は、日本の宗教は、そういう「」の宗教が根本にあり、
その上に、禅とか、日蓮とか、浄土とか
「教」の宗教が加わったものと思っています。