盲目的に命令に従ってはならない(ドイツ社会)
『ドイツは過去とどう向き合ってきたか』 熊谷 徹(くまがい・とおる)氏
ギムナジウムのグラスマン校長
『歴史的事実については、一つの国だけからの情報ではなく、
他の国からの情報も資料として生徒に提供し、
生徒が自分の意見を形成できるようにします。
年号などを丸暗記するだけでは、歴史教育とは言えません。
教師の役目は、生徒が自分で考え、
研究するための素材を提供することです。
歴史教育においては、事実を覚えるだけでは不十分であり、
その事実をどのように評価・分析するかが、きわめて重要です。
事実の提供と評価が並存して、初めて歴史を学ぶことになります。』
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ドイツの教科書では、
白バラ運動や7月20日事件に関する記述によって、
命を賭けてナチスに抵抗したドイツ人がいたことも 強調されている。
若者が批判的に現代史を学ぶことは、
被害を受けた周辺諸国に安心感を与える原因の一つになっている。
こうした教育を受けていれば、
将来、仮にナチスのような集団が政権を奪おうとした場合に、
市民が反対する可能性が高くなるからである。
これは「自虐史観」ではなく、将来 全体主義政権が再び誕生し、
ドイツの国益を損なうリスクを減らすための、
危機管理(リスクマネジメント)でもある。
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歴史の授業が「暗記」ではなく「討論」が中心の教育
自分の意見を形成し、その考えを発言する機会
個人の意見や議論を重視するドイツ社会
故に、ドイツ人は、批判的な思考と自己主張を得意とする。
⇒「個人の罪」を重視するドイツ人の戦争責任感へと繋がる
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ドイツの司法会や社会は、
「ナチスの時代に生きた、ドイツ市民全員に罪がある」
という集団責任は否定している。
裁きの基準になるのは、
個人が「どんな状況でも、人を殺してはならない」
という自然法に違反したかどうかである。
当時は戦争が行われていたのだから、
いわゆる軍事作戦中の戦闘行動には、
この自然法はあてはまらない。
問題は、
ユダヤ人や捕虜、精神障害者の虐殺や拷問、
見せしめのためのパルチザンの処刑など、
いわゆる人道に対する罪を犯したかどうか、
また捕虜の射殺や虐待を禁止している
ジュネーブ協定に違反する行為をしたかどうかである。
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ディルクス裁判長
(ナチスの安楽死計画に加わった2人の医師に有罪判決を下した)
『ウルリヒ被告は、安楽死施設に着任して、
患者を殺すのが自分の仕事だと知った時点で、
任務を拒否するべきでした。
たとえば彼の同僚の中には、
安楽死施設に来てから1週間後に、障害者を殺す任務を拒否し、
前線での勤務を志願した人がいました。
彼は前線で生き残り、この裁判で証人として証言しました。
つまり、ナチスの命令を拒否したからといって、
直ちに死刑になるわけではなかったのです。
ウルリヒ被告の罪は、命令を拒否しなかったことです。』
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たとえ上官の命令であっても、
自然法に違反する疑いがある非人道的な命令については、
拒否するべきだというのが、
戦後西ドイツ司法と社会の原則なのである。
安楽死裁判でも、
殺害を拒否した者は、戦後訴追されず、
「義務だから」と考えて殺害を実行し続けた者は、
有罪判決を受けて獄に下った。
つまり、「集団の罪」という考え方を否定するドイツ人は、
ナチスの時代に市民一人ひとりがどう行動したかを基準にして、
「個人の罪」を追求しているのだ。
市民は、上司や上官から命令を受けた場合、
その命令に従うことが、道徳に反しないかどうかを
慎重に吟味しなければならない。
非人道的な命令については、
それが自分に不利な結果をもたらしても、拒否する義務がある。
「上官に命令されたから」という理由で、
盲目的に命令に従ってはならないという原則だ。
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ベルリンの壁が崩壊して、東西ドイツが統一された後、
旧西ドイツの司法界は、
東ドイツ政府による国家犯罪の追及に乗り出したが、
この際にも同じ論法を用いた。
東西を分断していた壁沿いの地域で、
国境警備に当たっていた兵士たちは、
壁を乗り越えて、西側に逃亡しようとする市民を見たら、
射殺しても良いから亡命を阻止すべしという命令を受けていた。
多くの兵士がこの命令を実行し、約200人が犠牲となっている。
旧西ドイツの裁判官たちは
「西側に亡命しようとする市民を射殺してもよいという命令は、
人を殺してはならないという自然法に違反する。
国境警備兵たちは、
この反道徳的な命令に反抗するべきだった」として、
市民を射殺した兵士たちに、禁固刑などの有罪判決を言い渡した。
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ここでも、「モラルに反する命令に服従したか、反抗したか」という
「個人の罪」の論理が援用(えんよう)されているのだ。