広島から世界の平和について考える

平岡 敬 (ひらおか たかし)氏   私の平和論 ヒロシマをめぐって

1927~早稲田文学部卒 中国新聞、広島市長(1991年~1999年)

現在は中国・地域づくり交流会会長

広島から世界の平和について考える

「唯一の被爆国」という言い方は適切でない。
実際、日本という国が被爆したが、その中には中国人・朝鮮人・アメリカ人も被爆している。核兵器のそうした無差別性を覆い隠してしまう。
「唯一の被爆国」という言い方によって、
人間的な根元的な叫びというものが、
国家のなかに取り込まれてしまう恐れがある。

私達の思想的な退廃
今の豊かな生活:資源をものすごく浪費し、大量生産、大量消費、大量廃棄というサイクルのなかから、なかなか逃げ出せない。
その中で生きているわけだが、
この社会を貫いている価値観というのは何かというと、
効率化、あるいはスピード、画一化といったもの。
それが絶対的な価値として社会を貫いている。

今の産業経済システムは工業を優先した社会で、
それを支えているのは近代科学技術。

そうした効率主義というのものは結局、
弱者切り捨てにつながっていく。
弱者を切り捨てる思想の中に私達は生きている。

その思想というのは、

実は核兵器の持つ「皆殺しの思想」と、
まったく根っこは同じ

目的達成のためには老若男女を問わず、皆殺しにしていく。
そういうのが核兵器。

一方、社会に役に立たない人間、弱者、

ジャマになる者、そういうものは全部排除していく。
これはナチス・ドイツがそう。

心身障害者を全部排除する。
そしてユダヤ人も抹殺するということをやってきたわけで、
そういう思想が核兵器の「皆殺しの思想」とまったく通底している。
(つうてい=2つ以上の事柄・思想・意見が、基底の部分で 共通性を持つ)

今の社会のあり方を是認したまま核兵器廃絶と言っても、
絶対に核はなくならない。

豊かで公正で、そして誰もが安心して暮らせる社会 
戦争をしなくてもすむ国際社会 市民社会を、
今後どうやってつくるかということ。

生き方を振り返り、ある程度 欲望を自制すること。
欲望に身を任せていると、
どうしても今の現実を肯定するから、欲望を自制することで、
初めて広島が世界の舞台の中で発言権を持つ。

原子力エネルギーの技術と、遺伝子操作の技術

神の領域を、欲望を持った人間が扱っている。

人間は倫理性をもたなくてはならない。それを自分がどう実践するか。

核兵器廃絶は理想論を言っている。人間は理想をもたなくてはならないし、
その理想に近づくために、どう努力するかというのが問題。生き方の問題だ。

でないと、たとえ核兵器廃絶してもまた作る人が出てくる可能性がある。

人間獣化計画⇔倫理性のある人間
 
核時代においては、
人間が自分の利己的な欲望を自制する倫理を立てない限り、
未来への展望は開けない。

人間が自らの欲望を自制するという倫理を打ち立てなければ、

人間の未来はない
ということが、

実はヒロシマ・ナガサキの教訓だったのではないか。

人間の根源に返って、
自分が果たして本当に欲望をコントロール出来るかどうか。

そうしたことが出来ることによって、
初めて平和というものを現実的なものとして見ることが出来る。

広島はずっと保守党の金城湯池と言われてきた。 
きんじょう・とうち=守りが堅固で、容易に攻め落とすことが出来ない

保守党というのは 核の傘を頼ってきた。

最終的には憲法を改正しようと思ってきた党に 
被爆者援護の充実を陳情してきた。

自分の生活と理想をどう近づけていくかという努力をしない限り、
核兵器廃絶と言えない。

ゴミを捨てない 環境を大事にする 近所の人に親切にする 
それが私は平和をつくることだと思っている。 

宣伝相 ゲッペルスがドイツ国民に与えた19の警告