自然界の生命エネルギー「気」は、「食べ物」

仏様のお供え物である”香り”を”甘い””辛い”と表現する。

なぜ食べ物のように表現するのか 不思議。

鎌田氏の本を読んで、その謎が解けた。

宮沢賢治の童話や 人間が作る芸術作品も「食べ物

  ★  ★ 

神道とは何か』鎌田東二(かまた・とうじ)氏

明治元年(1868年)、神仏判然令(神仏分離令)が出され、
それまで神仏習合的な思想や中核をなしていた日本の神仏関係は、
ここで制度的にはっきりと分断されることになった。

神仏分離令は日本の神観に大きな変更を強いるものであった。


行政的な上からの力で、

自然の中に神を見、
様々な事物の中に霊的な宿りや働きを見てきた日本人の心性

強制的な変更を強いるものであった。

日本近代化の中で、神社神道が国家管理の中に置かれ、


神職は国家公務員のような官吏となった。

幹部職員は高級官吏のように転任、転勤する体制となり、

従来の神社を支えていた社家制度とは
全く異なる官僚的な神職制度が誕生した。

神社の国家管理の過程で、

神社神道は宗教ではなく国家の祭祀であり、
国民の道徳であるという主張がなされた。

仏教やキリスト教はあくまでも宗教である。

それに対して、神道は宗教ではない。

国の祭祀、国民道徳という位置づけがなされることによって、
一種の国教的な、また道徳習俗としての位置づけを得ることになる。

が、そのことが、神道の世俗化を促進させ、

宗教的情熱を希薄化するものともなった。

明治新政府から追放された
平田派の国学者たちは、こうした事態を嘆いた。

明治40年代に、

こうした神社合祀政策に猛然と反対運動を展開したのが 

南方熊楠(みなかた・くまぐす)である。

複数の神社を一社に統廃合するということは、


その地域にいくつもあった神社を壊し、
一つところに集めて合祀するということである。

それはすなわち、地域地域の人々の暮らしの中に息づき、
庶民生活の中で、リアリティと日常的な交流を持っていた信仰が、

行政的な都合によって変更を強いられるということであった。

神々の立ち退きと引っ越しを強制執行されることである。

『となりのトトロ』が住んでいるような


大木の下にあった小さな社が壊され、

社殿としては立派で厳かな町や村の中心の社殿に
一緒に祭られることになる。

社殿という形だけを見れば、神主もいない小さな洞から、
神主のいる大きな神の御殿に移されたことになる。

しかし


そこに根ざしていた命の感覚、木や森や空気や水や石段やその地形
といった環境の中での、環境と歴史と伝承に根ざした命の感覚、
存在の感覚を根こそぎ変えていくものであった。

エコロジーという言葉を

日本人として最初に使い始めた南方熊楠は、

神社の神池神林が持つ意義をとりわけ強調した。

鎮守の杜として親しまれ大切にされていた神社やそこでの祭りは、

自然の力に恭順する素朴な生活文化の中核であった。

その自然や土地と切り離され、

無理矢理よその地に神社が移され、

あまつさえ境内の木が切られて、

建築材や生活資材として売られたりすることは、

南方にとって神罰が下る行為以外の何ものでもなかったのである。

南方は


田辺中学校で行われていた神社合祀運動を進める
県の職員に殴り込みをかけ、逮捕された。

日韓併合の起こった明治43年(1910年)8月に

留置場に入れられたのである。

の中にはさまざまな植物がある。

その多様で豊富な植物の一つ一つがあるものであり、
を持った八百万(やおよろず)の神でもある。

は、八百万の宿舎なのだ。

多様性を多様なままで存在せしめる力、

循環する大いなる生命力である。

宮沢賢治は、『注文の多い料理店』の序文で、

わたしたちは氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとほった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます
と記している。

風や日光もまた私たちの大切な食べ物であると彼は主張する。

それは私たちの生命力そのものを力づけるものなのだ。

古代中国人はそれを「」と言った。

」が一種の生命エネルギーであり、
未だ測定不可能な精神エネルギーであるとするならば、

そうした「気」のレベルでの食べ物があるということを、

宮沢賢治は日々実感していた。

そしてそうした「」の食べ物として自分の童話が
人々の前に差し出されることを願ったのである。

『注文の多い料理店』の序文の最後に、

「これらのちひさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、
あなたのすきとほったほんたうのたべものになることを
どんなにねがふかわかりません

とその童話集を出す願いが記されている。

つまり、宮沢賢治にとって、

童話も一種の食べ物なのであった。

食べ物とは、生きるための栄養源である。

その生きるための栄養源である食べ物に
この童話がなったら、と願ったのだ。

宮沢賢治にしたがえば、食べ物には三つの種類があるということになる。 

一つは、食品としての体の栄養分となる食べ物。

二つめは、日光」「のような「」のレベルでエネルギーとなるような、
自然界の生命エネルギーとしての食べ物。

三つめに、人間が生みだし作りだす芸術作品

」「童話」「絵画」などの
言葉」「絵画的表象を通して表される芸術作品としての食べ物。  

この三つの食べ物のレベルがあることを宮沢賢治は訴えようとしている。

    

ヘドロで泥だらけの「クサレ神」を救う