日本人の力の源 森と水を守るアニミズム

    

一神教の闇』 
安田喜憲(やすだ・よしのり)氏  以下抜粋

江戸時代末期、森林資源が枯渇した。

広島藩では、

御建山(おんたてやま)の木を無断で伐採したら

即刻打ち首という厳罰が存在した。

戦後のアメリカ型の民主主義教育を受けた私達は
「江戸時代は、
なんて人権を無視した残酷な非人道的社会だったのか」と思い、

マルクス主義の歴史観の教育を受けた者は
「それこそが封建領主が人民を搾取する典型的な事例」と見なした。

その結果、「日本は長い間、人権を無視した封建社会が続いた。
だから日本は遅れているし、ダメなのだ」と教えられたし、
そう思ってきた。


しかし、厳罰が存在したから、日本の森は守られてきたのである。


戦後、キリスト教が

日本の新しい未来を担う精神的支柱としてもてはやされ


他方、労働者階級に属する人々は、マルクス主義に深く傾倒した。


このキリスト教とマルクス主義が両刃の剣となって、

日本人の心の空白を生み出し、
日本人のアニミズムの心を破壊した。

「神道はダメだ。大木に注連縄(しめなわ)をまくなんて
迷信まがいなことはするものではない。
理性に重きをおこうとする者は、そんな非科学的なことをすべきではない


マルクス主義者は「宗教はアヘンだ」として、
宗教心を日本人の心から奪いとろうとした。

「共産主義こそが唯一の価値基準となるべきであり、
それに対抗する宗教の存在は許さない



日本人は無宗教だという風説が流布した。


特定の宗教には荷担しない

そのことが間接的に、宗教としてのマルクス主義を擁護することにもなった


神道が国家神道となって侵略戦争を起こし

戦争の思想的尖兵になったことは

神道の本来のありかたを逸脱した大きな過ちであった



しかし、国家神道は、神道本来の姿では無い。

このことによって、
神道が本来持っていたアニミズムの心
までもが

完全に葬り去られてしまうとしたら、行き過ぎというほかない



アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ

私達は、日本人に国家神道を廃棄させた。

しかし、国家神道は、西洋型国家意識の日本版にすぎない


国家神道は、1868年、西洋の”指導”に応えて出てきたものだ。

近代以前の日本では、
神道は 自然と祖先に対する信仰であり、
習俗であった。


軍事的なもの、国家的なものの対極にあるものだった。


私達アメリカ人は、平時には、愛国心を当然のものとして表に出さないが、
戦争中は、私達も国家神道を絶えず感情的に表現していたのである。

すべての心情的国家シンボルは、英王室であれ、星条旗であれ、
ソ連のハンマーと鎌であれ、日本の天皇であれ、
本来反社会的であり、戦争の原因ともなるものである。

私達はそのすべてを告発することが出来る。

しかし、そうしたシンボルの一切を同時に否定してこそ、
特定のシンボルを否定する姿勢が公正にみえるのである



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一神教の闇』 安田喜憲氏

人間や民族の行動を決定づけるものは、自然観や世界観であり

それは数千年に及ぶ風土との関わりの中で醸成されてきたものである

日本人の力の源

縄文時代以来の森を畏敬し森を守る文明を発展させ

弥生時代以降は里山の資源循環に利用し

美しい水の文明を発展させたアニミズムだった

美しい「森と水の文明」が「利他の心」を養い

哀しみを抱きしめて

(やられたらやりかえす果てしない復讐の連鎖を断ち切って)

生きる「心の作法」を醸成した。その原点にあったのは「アニミズム」である

それは平和の心にも通じている

美しい森と水を守る心が

「平和と慈悲の心」を醸成し、「アニミズム的応戦」を成し遂げた

江戸時代の日本の為政者の決断が、

最近になってようやく海外においても評価されるようになった。

文明崩壊J・ダイアモンド博士は、森林の利用を規制し

森林管理の緻密なシステムを構築した彼らを高く評価している。