自然界の生命エネルギー「気」は、「食べ物」

仏様のお供え物である”香り”を”甘い””辛い”と表現する。

なぜ食べ物のように表現するのか 不思議。

鎌田氏の本を読んで、その謎が解けた。

宮沢賢治の童話や 人間が作る芸術作品も「食べ物

  ★  ★ 

神道とは何か』鎌田東二(かまた・とうじ)氏

明治元年(1868年)、神仏判然令(神仏分離令)が出され、
それまで神仏習合的な思想や中核をなしていた日本の神仏関係は、
ここで制度的にはっきりと分断されることになった。

神仏分離令は日本の神観に大きな変更を強いるものであった。


行政的な上からの力で、

自然の中に神を見、
様々な事物の中に霊的な宿りや働きを見てきた日本人の心性

強制的な変更を強いるものであった。

日本近代化の中で、神社神道が国家管理の中に置かれ、


神職は国家公務員のような官吏となった。

幹部職員は高級官吏のように転任、転勤する体制となり、

従来の神社を支えていた社家制度とは
全く異なる官僚的な神職制度が誕生した。

神社の国家管理の過程で、

神社神道は宗教ではなく国家の祭祀であり、
国民の道徳であるという主張がなされた。

仏教やキリスト教はあくまでも宗教である。

それに対して、神道は宗教ではない。

国の祭祀、国民道徳という位置づけがなされることによって、
一種の国教的な、また道徳習俗としての位置づけを得ることになる。

が、そのことが、神道の世俗化を促進させ、

宗教的情熱を希薄化するものともなった。

明治新政府から追放された
平田派の国学者たちは、こうした事態を嘆いた。

明治40年代に、

こうした神社合祀政策に猛然と反対運動を展開したのが 

南方熊楠(みなかた・くまぐす)である。

複数の神社を一社に統廃合するということは、


その地域にいくつもあった神社を壊し、
一つところに集めて合祀するということである。

それはすなわち、地域地域の人々の暮らしの中に息づき、
庶民生活の中で、リアリティと日常的な交流を持っていた信仰が、

行政的な都合によって変更を強いられるということであった。

神々の立ち退きと引っ越しを強制執行されることである。

『となりのトトロ』が住んでいるような


大木の下にあった小さな社が壊され、

社殿としては立派で厳かな町や村の中心の社殿に
一緒に祭られることになる。

社殿という形だけを見れば、神主もいない小さな洞から、
神主のいる大きな神の御殿に移されたことになる。

しかし


そこに根ざしていた命の感覚、木や森や空気や水や石段やその地形
といった環境の中での、環境と歴史と伝承に根ざした命の感覚、
存在の感覚を根こそぎ変えていくものであった。

エコロジーという言葉を

日本人として最初に使い始めた南方熊楠は、

神社の神池神林が持つ意義をとりわけ強調した。

鎮守の杜として親しまれ大切にされていた神社やそこでの祭りは、

自然の力に恭順する素朴な生活文化の中核であった。

その自然や土地と切り離され、

無理矢理よその地に神社が移され、

あまつさえ境内の木が切られて、

建築材や生活資材として売られたりすることは、

南方にとって神罰が下る行為以外の何ものでもなかったのである。

南方は


田辺中学校で行われていた神社合祀運動を進める
県の職員に殴り込みをかけ、逮捕された。

日韓併合の起こった明治43年(1910年)8月に

留置場に入れられたのである。

の中にはさまざまな植物がある。

その多様で豊富な植物の一つ一つがあるものであり、
を持った八百万(やおよろず)の神でもある。

は、八百万の宿舎なのだ。

多様性を多様なままで存在せしめる力、

循環する大いなる生命力である。

宮沢賢治は、『注文の多い料理店』の序文で、

わたしたちは氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとほった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます
と記している。

風や日光もまた私たちの大切な食べ物であると彼は主張する。

それは私たちの生命力そのものを力づけるものなのだ。

古代中国人はそれを「」と言った。

」が一種の生命エネルギーであり、
未だ測定不可能な精神エネルギーであるとするならば、

そうした「気」のレベルでの食べ物があるということを、

宮沢賢治は日々実感していた。

そしてそうした「」の食べ物として自分の童話が
人々の前に差し出されることを願ったのである。

『注文の多い料理店』の序文の最後に、

「これらのちひさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、
あなたのすきとほったほんたうのたべものになることを
どんなにねがふかわかりません

とその童話集を出す願いが記されている。

つまり、宮沢賢治にとって、

童話も一種の食べ物なのであった。

食べ物とは、生きるための栄養源である。

その生きるための栄養源である食べ物に
この童話がなったら、と願ったのだ。

宮沢賢治にしたがえば、食べ物には三つの種類があるということになる。 

一つは、食品としての体の栄養分となる食べ物。

二つめは、日光」「のような「」のレベルでエネルギーとなるような、
自然界の生命エネルギーとしての食べ物。

三つめに、人間が生みだし作りだす芸術作品

」「童話」「絵画」などの
言葉」「絵画的表象を通して表される芸術作品としての食べ物。  

この三つの食べ物のレベルがあることを宮沢賢治は訴えようとしている。

    

ヘドロで泥だらけの「クサレ神」を救う

日本人の力の源 森と水を守るアニミズム

    

一神教の闇』 
安田喜憲(やすだ・よしのり)氏  以下抜粋

江戸時代末期、森林資源が枯渇した。

広島藩では、

御建山(おんたてやま)の木を無断で伐採したら

即刻打ち首という厳罰が存在した。

戦後のアメリカ型の民主主義教育を受けた私達は
「江戸時代は、
なんて人権を無視した残酷な非人道的社会だったのか」と思い、

マルクス主義の歴史観の教育を受けた者は
「それこそが封建領主が人民を搾取する典型的な事例」と見なした。

その結果、「日本は長い間、人権を無視した封建社会が続いた。
だから日本は遅れているし、ダメなのだ」と教えられたし、
そう思ってきた。


しかし、厳罰が存在したから、日本の森は守られてきたのである。


戦後、キリスト教が

日本の新しい未来を担う精神的支柱としてもてはやされ


他方、労働者階級に属する人々は、マルクス主義に深く傾倒した。


このキリスト教とマルクス主義が両刃の剣となって、

日本人の心の空白を生み出し、
日本人のアニミズムの心を破壊した。

「神道はダメだ。大木に注連縄(しめなわ)をまくなんて
迷信まがいなことはするものではない。
理性に重きをおこうとする者は、そんな非科学的なことをすべきではない


マルクス主義者は「宗教はアヘンだ」として、
宗教心を日本人の心から奪いとろうとした。

「共産主義こそが唯一の価値基準となるべきであり、
それに対抗する宗教の存在は許さない



日本人は無宗教だという風説が流布した。


特定の宗教には荷担しない

そのことが間接的に、宗教としてのマルクス主義を擁護することにもなった


神道が国家神道となって侵略戦争を起こし

戦争の思想的尖兵になったことは

神道の本来のありかたを逸脱した大きな過ちであった



しかし、国家神道は、神道本来の姿では無い。

このことによって、
神道が本来持っていたアニミズムの心
までもが

完全に葬り去られてしまうとしたら、行き過ぎというほかない



アメリカの鏡・日本』ヘレン・ミアーズ

私達は、日本人に国家神道を廃棄させた。

しかし、国家神道は、西洋型国家意識の日本版にすぎない


国家神道は、1868年、西洋の”指導”に応えて出てきたものだ。

近代以前の日本では、
神道は 自然と祖先に対する信仰であり、
習俗であった。


軍事的なもの、国家的なものの対極にあるものだった。


私達アメリカ人は、平時には、愛国心を当然のものとして表に出さないが、
戦争中は、私達も国家神道を絶えず感情的に表現していたのである。

すべての心情的国家シンボルは、英王室であれ、星条旗であれ、
ソ連のハンマーと鎌であれ、日本の天皇であれ、
本来反社会的であり、戦争の原因ともなるものである。

私達はそのすべてを告発することが出来る。

しかし、そうしたシンボルの一切を同時に否定してこそ、
特定のシンボルを否定する姿勢が公正にみえるのである



★    ★     ★

一神教の闇』 安田喜憲氏

人間や民族の行動を決定づけるものは、自然観や世界観であり

それは数千年に及ぶ風土との関わりの中で醸成されてきたものである

日本人の力の源

縄文時代以来の森を畏敬し森を守る文明を発展させ

弥生時代以降は里山の資源循環に利用し

美しい水の文明を発展させたアニミズムだった

美しい「森と水の文明」が「利他の心」を養い

哀しみを抱きしめて

(やられたらやりかえす果てしない復讐の連鎖を断ち切って)

生きる「心の作法」を醸成した。その原点にあったのは「アニミズム」である

それは平和の心にも通じている

美しい森と水を守る心が

「平和と慈悲の心」を醸成し、「アニミズム的応戦」を成し遂げた

江戸時代の日本の為政者の決断が、

最近になってようやく海外においても評価されるようになった。

文明崩壊J・ダイアモンド博士は、森林の利用を規制し

森林管理の緻密なシステムを構築した彼らを高く評価している。

学問に情けあり 西山夘三 と早川和男

学問に情けあり学者の社会的責任を問う』西山 夘三氏と 早川和男氏 
すまい・まちづくり界の“南方熊楠”と呼ばれる西山うぞう氏を取り上げる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

学問の土台は、人間がどう幸せになるかにあって、
専門家としての自覚と同時に市民としての自覚が生命なんです。

学者としての社会的責任を果たす運動を
まるっきり何もやらん研究者のほうが多かったね。

社会のことは見ず、知らず、考えず、
自分の研究さえ専心してやっておれば「いい学者」になれたんです。

彼らにとって社会とは、
国民、住民のことではなく、国家や資本なんですよ。そっちの方は頑張る。

研究開発はね、市民のためにやっているんやない。
自分の学問のためにやってるんです。

彼らには矛盾なんてない。

有名な話で、第二次世界大戦が終ったあとで、
いろんな分野の学者に 戦時中はどうでしたか、と聞いたことがある。

工学関係の連中は、
戦時中ほど潤沢で自由に研究できた時代はない、と言いましたよ。

そのとおり、学者には徴兵もなく、
政府や軍部、軍需産業からいろんな保証を受け優遇されて、
それこそ研究に専心できたわけですから。

旧満州の「731部隊」で人体実験などにかかわった医学関係者など
その象徴的な例ですよ。

無知であり無関心です。

つまりね、

最低の市民としての歴史認識をふくめた社会教育も
当時の研究者は受けておらなかったのです

たとえば、儒教精神による権力への忠誠と迎合は叩き込まれていますが、 ものごとを社会的に総合的・批判的に見て考えることは養われてはいなかった。だから関心も育たなかったのです。

戦争直後は、自由だとか平和だとか元気に言っておったけど、
だんだん世の中の変化に順応して、変身してしまった人がたくさんいます。

主体としての学問自身、学者自身の問題ですよ。

学問の性格が社会のどこに結びついているか、ということです。

    

Nobel Prize winner Dr James Watson was this week banned today from speaking at London's Science Museum after reportedly saying black people were less intelligent than whites.

In an extraordinary outburst, the veteran academic, 79, claimed he was "inherently gloomy about the prospect of Africa" because "all our social policies are based on the fact that their intelligence is the same as ours - whereas all the testing says not really".
But his remarks prompted outrage with critics branding his remarks "racist" and "offensive".


The geneticist, who won the Nobel for his part in discovering the structure of DNA, was due to give a talk on Friday, but outraged directors took the decision earlier this week. 19th October 2007

Alan, Frankfurt, Germany
Highly educated people in research and academia often loose touch with reality. Statistical research can also show whatever you want it to show. Even the 'hard sciences' change theories about matter etc when particular hypotheses have been proved or disproved. Nothing is permanent. It would be foolish to 'look down' on other cultures and deem them 'inferior', that is just intellectual snobbery!

  ★

藤本英夫氏 『知里真志保』

知里真志保は『アイヌ語入門』を出版した。

この本の中で、バチェラーをはじめ、

高名な、その道の権威者と評のあるアイヌ研究者たち数人を、

こっぴどくやっつけ、罵倒している。

この本の戦闘的な激しさについては、
大江健三郎が『文芸』(昭和42年3月号)で、
「名著発掘 アイヌ語入門」と題して感想をのべている。

「知里博士が戦いをいどみ、絶対に全滅させるは、
一般的には良きアイヌ理解者と目されている学者たちである。

博士はそうしたアイヌ理解者の精神の奥底にアイヌへの見くびりや、
安易な手をぬいた研究態度を見つけ出して、それを叩きつける。

しかもその怒りの声の背後からは切実な悲しみの声も聞こえてきて...」

私は、この大江の見方は正しく的を射ていると思う。

知里「僕の背後には、一万数千のアイヌがいる。

僕は、その一万数千のアイヌのためにも頭をさげることができないのだ」

以上 『ドキュメント日本人2 悲劇の先駆者』から抜粋

知里真志保(ちり・ましほ/ 1909-1961):北海道登別の名門アイヌに生まれる。ずばぬけた語学力に恵まれ、被征服民族アイヌの生活を見て育った彼は、アイヌ研究家、アイヌ語学者となった。一高、東大、大学院というエリートコースを歩みながら 彼の研究は、従来の、アイヌへの同情や、べっ視に立脚した研究を鋭く告発した。彼の研究には、被征服民族の、彼自身の悲痛な叫びが核となって貫いている。

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7・3・1と原爆-- 実験データを握 る-- World Government

AMERICA BETRAYED by Rhawn Joseph, Ph.D.
The United States was most eager to obtain his expertise. In a deal arranged by General Douglas MacArthur—a man who twenty years earlier had ordered his soldiers to shoot U.S. workers who had gone on strike for better wages— Ishii became an invited lecturer at the U.S. Army bio-weapons center in Frederick, Maryland. The U.S. Army also obtained over 10,000 pages of Ishii’s “research findings.”Nazi know-how was also exploited by the CIA and U.S. government...http://www.american-buddha.com/americabetrayedch8.htm


忍野氏『太平洋戦争に日本が引きずり込まれ、真珠湾攻撃の罠 にはまり、
あまつさえルーズヴェルトに「卑怯な先制攻撃」という口実を与える失態
実は共同作業)を演じたのは、外務省ではなかったか。』


One aspect of suppressing the antifascist resistance was the recruitment of war criminals.
旧日本陸軍は、
京都帝国大学医学部出身の石井四郎軍医中将の総指揮により、
生物兵器の開発、それの人体実験を戦争終結ま で行った。
その中心的実行機関が、満州731部隊

化学兵器、生物兵器の開発を推進していた米 国は 
戦 後、石井軍医中将らを米国側に協力させ、
BC級戦争犯罪人訴追の対象から 外した。

生物兵器開発に関係した日本人研究者たちは、
戦後、GHQの指示で設立された「厚生省 国立予防研究所」に就職。

1947年に米国側が広島・長崎に設置した
「原爆傷害調査委員会(ABCC)」の被爆者調査研究全面的に協力
1975年「財団法人放射線影響研究所」として
日本の公益法人に再編、存続されている。
ア メリカに問う大東亜戦争の責任長谷川熙(ひろし)氏

今の薬害肝炎訴訟が、 頭をよぎる。731部隊との線

「厚生省 国立予防研究所」も「原爆傷害調査委員会(ABCC)」も
被爆者の治癒に専念するのでなく、
被爆者の肉体的・精神的障害の進展状況を研究していたのである。

被爆者はABCCに診察を強要され、
全裸にされてさまざまな検査をされた。
そして被爆者が亡くなった場合家族は
検屍解剖を強制的に承認させられたのである。 
被爆者は最後の最後まで人間として扱われる事がなかったのである。
「死の工場」ショルダン・H・ハリス著より

続き... やる気 「想像力と創造性」を萎えさせない

ヘドロで泥だらけの「クサレ神」を救う

鎌田東二氏日本の精神性と宗教以下抜粋

となりのトトロの場合の子供たちは、元気一杯

周りの自然とか、人間とか、いろいろなものに興味津々だった。

新しい環境は一体どんなものか、目を見開き、輝かせて生きている

ところが、千尋は 窓からの風景を見ようとしない。

注目したいのは神様が捨てられている風景が出てくる点。

宅地造成されて、昔トトロが住んでいたような木は、
ボロボロになって生命力を失っている。

鳥居もおんぼろで傾いている。

明治政府が神仏分離や神社合祀をやろうとした時代、

政府は、敬神思想を高めようという国民運動を展開した。

その政策の一つとして、神仏分離と神社合祀を行政的に進めた。

南方熊楠は、政府の方向性に対し、
それはかえって敬神思想をなくしていくことになるという批判的な観点から、
猛烈な神社合祀の反対運動を展開していく。

、例えば森なら森というところに鎮まっている 森の「ヌシ」である。

森の木を切って駐車場にして、
木を売ってしまうというようなことをしていたら、

人心は荒廃し、人々の融和を妨げ、地方を衰微させていく。

国民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害して、愛国心を損ない、

土地の治安や利益に大きな害が起こってくる。

そして、歴史的に伝承された史跡や古伝が全部なくなってしまい、
天然記念物も亡滅していく

と指摘した。

明治政府的な方向性で、明治以降、戦後60年まできた末の、
一つの典型的な風景が
『千と千尋の神隠し』に描かれた捨てられた神々の家だ。

もっと端的に言えば、

神の家が重要なのではなくて、

その周りにある森とか、
朽ち果てた鳥居が立てかけてあったような勢いをなくした木、
そういう木や森としてあらわれる
力の源に対する畏敬感覚が重要なのだ。

そして今日、
その畏怖・畏敬の存在感覚がどんどん失われてきて、
怖いもの知らずの世の中になっている。


千尋が「あの家みたいなの、何?」と聞くと、
それは「神様のお家」だとお母さんが答える。
石の祠
(ほこら)だが、それが一体何であるかということ自体、
子供にはわかっていない。
それはどうでもいいものとして、打ち捨てられている。 

神々の家は、もう無い。

神々の家は、本来は森であったわけだが、
森が宅地造成されて、人間が神様のお住まいよりも立派な家を建てて、
山の上のほうに住んでいる。

山の中腹のあたりに神様の捨てられた家がある。
これは非常に象徴的な光景だ。


千尋の両親は、食べ物屋に入って、
店の人に断りもせずに食べ物をどんどん食べて、豚になってしまう。

この部分に、
現代の私達の、浅ましい、貪欲な姿が痛烈に描かれている。

となりのトトロは、昭和20~30年代の引越し。
都心から郊外へ引っ越していくと、田園風景が広がっていて、
こんもりとした森がある。

引っ越してきた考古学者一家は、その森に挨拶に行く。
その森には、巨大なクスノキがあって、
しめ縄が張ってある。

その中に、トトロという不思議な謎の生き物が住んでいた。
その生き物は、お父さんの言葉を使って言えば、「森の主」である。


そのヌシに会えたことがとても運が良かったと、
お父さんは娘のメイに諭す。

ヌシの棲む森の感覚は、伝承文化の一番根本にあったものだと思う。

~心を清澄にする場~神社 神林 池泉

神道という宗教文化の核には、自然信仰(自然崇拝)があり、

その自然の生成する神聖エネルギー
ちはやぶる神」とか「八百万(やおよろず)の神」として
尊崇(そんすう)してきた。


古来、神威(しんい)、神格、霊性を表す言葉には、多様な語があった。
それらを総称する語として「」という語が生まれ、
それを祀(まつ)り 奉(ほう)じる道としての 「神道」という語が生まれた。

アニミズム 存在の糧

中村元対談集Ⅳ 日本文化を語る』 以下抜粋

中村元氏

「宗教」はもともと仏教の言葉であり、「宗」と「教」とは違う。

「宗」というのは、もとのもの。

これは言葉では言えない言語表現を超えた根本のものである。
それを人々に説く時に「教」になる。

「教」は、時によっては 不適当になれば変えてもいい。捨ててもいい。
けれど、そのもとのもの、これを無視してはならない。

梅原猛氏 

日本の場合、何かそのもとにある「宗」と、
出てきた「教え」とは、だいぶ違っている。

もとにあるものは、日本人の生活に溶け込んでいて
それは必ずしも言葉や思想として表現されない。
それを大切にすることが一番大事だと私も思います。

もと というのは、人類の最も古い宗教じゃないでしょうか。

旧石器時代の人類にとって普遍的な宗教ではないかと思います。

そういうものにもう一度、人類は返らないと、

宗教が逆に対立を助長する。

そういう意味では、日本人の精神生活の根底に、
人類の最も古い、「宗」の宗教が残存している。

私は、日本の宗教は、そういう「宗」の宗教が根本にあり、
その上に、禅とか、日蓮とか、浄土とか
「教」の宗教が加わったものと思っています。
★     ★     ★
宗教の「宗」、”もと”--
--鶴見和子さん『曼荼羅Ⅵ』のアニミズムに見出した。
★     ★     ★

鶴見和子さん

人間が魂を持っていると同じように

山も、川も、蛙も、ミミズも、石ころも、全てのものが
人間と同じように一緒に生きていく。

生きているものにも、生きていないものにも、
全てのものに人間と同じように魂が宿る 

これがアニミズムの信仰である。

誰かが誰かを殺して生きたり、

誰かが上位に立ってそれを支配して生きていくのではなく、

共に成り立つような形で生きていく。
対等なものとして扱おうという考え。

その他には 教義も無ければ、定められた儀式も無い。

アニミズムの信仰は、現代の日本人の暮らしの中に、

さまざまな形で、少なくとも潜在的に生きている。

日本には、昔から山岳信仰にもとづく修験道のように、
自然を全体としてつかむ方法があった。

まだ生まれて来ない、萌芽の状態にさえない生き物を、

人間だけでなく人間を含めた生き物を、

環境を汚染することを通して、ずっと殺すか、傷つけている。

放射性物質または化学物質によって、
いったん傷つけられた遺伝子は、
世代から世代にわたって影響が続くからである。

これは道徳的に 倫理的に非常に詫びることだということで、
生命倫理の一番の問題になっている。

それが胎児性水俣病患者に、広島・長崎の被爆者の問題に結びつく。

水俣病患者の川本輝夫さん

『それに、これは自然の苦しみもあるはずですもんな、当然。
自然が元に戻るには何十年かかるかわからんちゅうとも言われとるし、
人間の苦しみも加わっている。
そういう悩み、苦しみを受け入れる感受性ちゅうもんが
〔会社側の人々には〕全然なかっちゃなかでしょうかなぁ。』

川本氏は、狂い死にした猫や、死んだ魚や、汚された海の苦しみを、

人間の苦しみと同じものだと言っている。そして、自然の苦しみへの
共感を取り戻すよう、会社人間をうながしている。

人間は自然に対して 何をしてはならないか、
生命への「負荷」を高めないよう「介入しない」原則を守ることが重要だ。

その中でも、最重要で優先順位の高いのは

「遺伝子へ介入しない」原則を守ることだろう。

端的に言えば、今日の技術文明が、
遺伝子をも破壊するような毒物を「作らない」ことを
”好ましい”と価値づけるような新たな文明へと組み換えられることである。

それは「経済発展」から

「共生」型のパラダイムへの移行が求められているということである。

1986年のウクライナ共和国で起こった
チェルノブイリの悲劇には、
子供達の被爆体験を通して、
世代間の「共生」をめぐる深い啓示がこめられている。

★     ★     ★

地球を「ギリシャの女神」にたとえて、
地球が「生きている有機体」であるという仮説を提起したガイア理論。

春(張る)-自然の生命力ー万物は循環 し、相互に関連しあっている。

いつまで、地球の楽園が保たれるか?
忍び寄る劣化ウラン弾07,04,26
HAWAII で 軍産複合体の利益と共に
Depleted uranium munitions cause concern near Oahu military base. "They haven't told us the truth in the past, so why should we believe them now?" said Harden, who added that the Army denied any usage of depleted uranium before it was discovered at Schofield Barracks. 

過去を振り返る ハワイで劣化ウラン弾 米軍演習場に破片15個 
アメリカ陸軍は市民を欺いてきた―地元団体が非難

★     ★     ★

川本輝夫氏の長女 上野真実子さん

劇症型水俣病で亡くなった祖父の葬儀の日に
号泣していた姿を鮮明に記憶している。
「父の運動はここからスタートしたのではないか。

自分の親が
当たり前の死を迎えられなかったことが頭にあったと思う。
父が求めたのは 人権の回復だった」  2007,03,25 熊本日日新聞

★     ★     ★

ただ人は情けあれ あさがほの花の上なる露の世に (閑吟集)1518年
人というものは ひたすら情を持っているほうが良い。
朝咲いて、昼にはしぼむ朝顔の 花の露のように
はかない世の中に生きているのだから  

日本古典への誘い100選Ⅱ