言葉の力
キリスト教の相対性
伝道とはキリストを宣べ伝えることであって、
キリスト教という宗教に改宗させることではありません。
キリストを宣べ伝えることを「キリストの福音を伝え る」
あるいはたんに「福音を伝える」と言うならば、
伝道とは福音を伝えることであって、
異教徒をキリスト教に改宗させることではないと言えます。
キリスト を伝え、
人々をキリスト信仰(御霊による復活者キリストとの交わり)に
導き入れることと、
キリスト教に改宗させることとは別のことです。
この区別は、
キリ スト教という宗教を相対化するところで初めて可能になります。
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縄文語--【神々の詩】 姫神
殺されても殺さない
悪に征服されることなく、善をもって悪を征服しなさい。(ローマ書12章1節)
命を奪うことは 究極の悪です。命を救い養うことは 無条件に善です。
命を奪うという究極の悪を正当化する根拠は どこにもありません。
どのような崇高 な目的や理念であれ、
それを実現するために 人を殺してもよいとは言えません。
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もしあるとすれば 正当防衛 だけでしょう。自分が殺されないために、
殺そうとして襲う相手を 殺す場合は、正当防衛として処罰されず、
社会も認めています。
しかし、その場合でも
他者の命を奪うという 悪をもって悪に対抗したことになります。
自分も悪に巻き込まれ、悪に征服されたことになります。
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聖書は、キリ ストにある者に向かって、悪に征服されることなく、
善をもって悪を征服するように求めています。
同じことをイエスは、「敵を愛し、迫害する者のために祈 れ」と言われました。
敵とか迫害する者には、自分を殺そうとする者も含まれます。
標題のパウロの言葉も、主イエスの言葉もともに、
極言すれば「殺されても 殺さない」という
人間のあり方を求めていることになります。これは善の極地です。
それは人間には不可能だ、
あるいは人間の本性に反するという反対が起こるでしょう。
しかし、キリストの福音は
人間をそのような質の命に生きるよう に変える神の力なのです。
戦争や殺人に血塗られた歴史の中に、
「殺されても殺さない」という原理に生きる人種を生み出してきたのです。
このような人種の存 在が、
人類に「命の大切さ」を真に教えることになるでしょう。
最近フランスは 憲法に 死刑を行わないという規定を入れました。
これは
国家が 「殺されても殺さ ない」という原理に立つことを宣言したものです。
日本も、自国のために他国の人を殺す戦争を放棄した「美しい国」です。
人類の歴史の中に、
絶対無条件に 「殺さない」という原理が確立する日のために、
わたしたちは福音に生き、福音を証言する使命があります
--想起:トルストイ 『文読む月日』 訳:北御門二郎氏
Leo Tolstoy トルストイ--『愛あるところに 神あり』
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--想起:仏教(五戒・十善戒)の視点で道徳を考える
五戒:仏教で、在家の信者が守るべき5つの戒(いまし)め
殺生戒(せっしょうかい)生き物を殺すこと、特に人を殺すことを禁じる戒律
偸盗戒(ちゅうとうかい)盗みを禁制すること
邪淫戒(じゃいんかい)夫婦間以外の性行為、また、してはならない性行為
妄語戒(もうごかい) うそをついてはならない
飲酒戒(おんじゅかい)酒を飲んではならない
仏教というのは結局、「仏になろう」ということ。
だから浄土宗でも、禅でもそう言う。
日蓮も親鸞もそうです。
山を登るのに どこの道を登るかは違うけど、
仏になるということは 共通しているんですよ。
仏になるには五戒、十善戒を守らないかん。
人を殺しちゃいかんとか、女を作っちゃいかんとか
そういう邪淫(じゃいん)、嘘をついちゃいかんとか、
近代は それを抜きにしたのがいけない。
近代の仏教者は それを説いていないんです。
「戒」のトップは 殺生戒(せっしょうかい)です。
殺生戒を説いたら、教育勅語と矛盾するんだ。
教育勅語は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」だから、
天皇のために戦って人を殺せということだよね。
殺生戒と言ったら軍国主義批判になるんです。
だから矛盾を避けた。
近代仏教衰退の歴史の一つは そこだと思う。
殺生戒律というのを
坊さんが守ってないから というのもあるけど、
仏教の戒律を採ったら
当時の日本政府の道徳と矛盾することになる。
だから仏教徒共通の十善戒を説くのをやめて、
宗派仏教の説だけを説こうとした。
それでは駄目なんです。
仏教徒が誰でも守るべき十善戒を守らねば仏教徒と呼べない。
それを説かなかったら 僧とは言えない。
道徳を説かない。
これが 近代仏教の 大きな特徴です。
---梅原猛氏 『神仏のかたち』
私が中学の頃、大東亜戦争すなわち 太平洋戦争が勃発(ぼっぱつ)した。
旧制高等学校の1年生の時、徴兵延期が撤廃(てっぱい)され、
学徒動員が行なわれた。
私はすぐに出陣せず、勤労奉仕に通い、空襲に怯(おび)えつつ、
死の知らせとしか思えない召集令状を待った。
政治家や学者や詩人は、しきりに
「スメラミコト(天皇)のおっしゃるように、
お前たちは 人をなるべく多く殺し、そして 死ね」 と語った。
当時、誰一人として、私に
「君 死にたまふことなかれ」と言ってくれる人はいなかった。
日露戦争と太平洋戦争の根本的な違いであったのかもしれないが、
たった一人でもいい
私に はっきりと
「君 死にたまふことなかれ」と言って欲しかった。
---梅原猛氏 『百人一語』
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キリストの居ない”キリスト教”
The Catholic Church is not Christian at all
言葉の力
人間は 結局 言葉です。人間を人間ならしめるものは 言葉です。
人が どのような言葉を見出し、
どのような言葉を 内に抱いて生きる かによって、
その人の 人間としての中身が 決まります。
言葉は決して 空しいものではありません。言葉は 人間を決める力です。
教育問題が 重視されるのは、
人に与える言葉が 人間を決定することを 知っているからです。
福音は、人間が聴く無限に多い言葉の中の一つです。
しかし、この言葉は「救いに至らせる神の力」として 特別です。
それは、この言葉は 神からの言葉 だからです。
それは人間によって語られていますが、
神が遣わされた人によって 世に与えられた神からの言葉です。
それは、
それを聴いて、
その言葉を自分の内 に抱いて生きる人間
(聖書はそれを「信じる者」と言っています)を、造りかえ、変容させ、
別種の命に生きるようにする力です。
それは神の御霊の働きです。
福音は、人間を真に神の子の姿に変容さ せる力として、
それを受ける者が誰であっても 関係なく働きます。
ユダヤ教徒であろうが、ギリシア宗教の徒であろうが、
キリスト教徒であろうが、
所属する宗 教とか文明とは 無関係に働きます。
今わたしたちに必要なものは、
ユダヤ教とかキリスト教という宗教ではなく、
神の力としての福音です。真に力のある言葉で す。
-- 『聖書の小窓』 市川喜一氏-----------------------------
「書籍にすれば5000頁を超える福音講話と新約聖書講解のサイト」とある。
すべてupしているのである。
京都大学を卒業した後、独立伝道者として歩み始め、
釈義の歴史の参照(過去の註解書の評価)という基本的な作業において、
良心的かつ徹底的であろうと志している人に出会うことは、稀である。
惜しげもなく、すべて公開してしまった。
---あの人検索スパイシー
☆ ☆ ☆
盲目的に命令に従ってはならない(ドイツ社会)
非人道的な命令については、
それが自分に不利な結果をもたらしても、拒否する義務がある。
☆ ☆ ☆
聖書を改竄していく動き ⇒ 命の軽視
TYNDALE'S NEW TESTAMENT
THE GOSPEL OF ST LUKE CHAPTER THREE
The soldiers likewise demanded of him saying: and what shall we do?
And he said to them: Do violence to no man: neither trouble any man wrongfully: but be content with your wages.
King James Version
Holy Bible ST.LUKE 3:14
And the soldiers likewise demanded of him, saying, And what shall we do? And he said unto them, Do violence to no man, neither accuse any falsely; and be content with your wages.
↓
Bilingual Bible New International Version
LUKE 3:14
Then some soldiers asked him, "And what should we do?"
He replied, "Don't extort money ←NG and don't accuse people falsely--be content with your money."
兵士たちも 彼に尋ねて言った。
「私たちは どうすればよいのでしょうか。」
ヨハネは言った。
「誰からも 力ずくで金をゆすったり、←NG
無実の者を責めたりしてはいけません。
自分の給料で 満足しなさい。」
非常に重要な 言葉の力
【誰に対しても、(精神的・肉体的)暴力を振るうな】
Do violence to no man
”聖なる書”が出回っていない
∵ JesusDrivenLife.org
Who publishes the NIV and NASB and their sibling version? It's Zondervan, owned by Harper Collins Publishers, which is owned by News Corp, which in turn is owned by Rupert Murdoch, the Catholic media mogul who is very close to the Vatican.
Jeff BuckleyとVoltaireの共通点=ヴォルテール 『道徳は一つ』
History of Catholic Aggressiveness in Japan
By Avro Manhattan "Vietnam why did we go?"
http://www.reformation.org/vietnam.html#Contents