Leo Tolstoy トルストイ--『愛あるところに 神あり』
『愛あるところに神あり』 レフ・トルストイ
解説:小宮楠緒 氏 以下抜粋
ここでトルストイが言いたかったのは
孔子(Confucius)の論語のなかの
「仁遠からんや、我、仁を欲すれば ここに仁 至る」
仁は 遠くにあるものではない。自分が欲しいと思えば
心の中に 仁は至るものである
-- 仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣
とまさに同じもので、
神も仁も
自分の外にあるのではなく
自分の心の中にある
ということだと思います。
仁(じん)=思いやり いつくしみ なさけ
特に儒教における最高徳目で、
他人と親しみ 思いやりの心をもって
共生(きょうせい)を実現しようとする実践倫理
不幸のどん底にあった主人公のマルティンは
巡礼中の老人の言葉に、生きる気力を とりもどします。
そして、マルティンの心に解き明かされたのは、
まさしく 論語のこの言葉でした。
マルティンは 自分でも気付かぬまま、 雪かきをしている老人や、
飢えと寒さでお乳も出ない母親と赤ん坊、 物売りの老婆と
貧しい子どもなどに 手をさしのべ、 優しく 相対(そうたい)します。
そのことによって、神の存在を感じることができたのです。
神(言いかえれば仁)は、
遠くにいるのではなく、
マルティンの心のなかに いたのです。
この論語の言葉は、
トルストイの晩年の作品『文読む月日』(筑摩書房刊)にも収録されていて、
トルストイが いかに東西の聖賢(せいけん)の言葉に
精通していたかが うかがわれます。
この作品は、
神というものを、
人間とは 全く違う外的存在と とらえがちな観念を
取り払ってくれると同時に、
人は 無意味に生かされているのではない ということを 教えてくれます。
それぞれの人に それぞれの生きる意味と力が与えられていて
一見、生きる望みを すべてなくしたようにみえるマルティンも、
心の中に芽生えた「愛」の力によって 生きる希望を見出したのです。
『火の始末は大火のもと』Pg.39 は
『愛あるところに神あり』を 裏側から書いた作品といえるかもしれません。
ペーチカの上に 寝たきりのイワンの父親の言葉が、
そのまま トルストイの言葉で、
人と人が 争うことの無意味さ、愚かさを
祈りにも似た言葉で 伝えようとしています。
トルストイは 子どもにもわかりやすいように
卵ひとつから、関係のない人までも巻き込んで
村の半分を焼き尽くしてしまう という 隣同士の争いを
この作品のテーマにしています。
そのことによって、
だれでもが、その火種を持っていることを 実感させてくれるのです。
そして それが国家間の戦争 となると、
目を覆うばかりの惨状になる ということを言いたかったのだと思います。
今でも 世界のあちこちで起きている争いの連鎖を断ち切るために、
生前、訳者(北御門 二郎氏)は
ぜひ 多くの人に読んでほしい と言っていた作品です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
トルストイ 『文読む月日』 訳:北御門二郎氏 以下抜粋
今、至るところでしきりに、
現在の世の中が間違っているため、われわれの生活も
間違った不幸な生活になっているのだから、
ひとつ 世の中を改造しようではないか
そしたら われわれの生活も よくなるだろう云々、
という声が聞こえます。
親愛なる諸君、そんなことを信じてはいけません。
世の中の体制だけで 自分たちが幸福になったり
不幸になったりするなどと思ってはいけません。
たとえ 最良の体制なるものがあって
それが最良の案であることを みんなが認めるにしても、
みんながその体制に従って生きるにはどうしたらいいでしょう!
みんなが 悪しき生き方に慣れ、
悪しき生き方を愛しているとき、
どうしてその体制を 守るのでしょう?
最もよい体制があるとしても、
それを成立させるためには、
人々自身が よくなければなりません。
ところが人々は 諸君に向かって、
諸君が現在のように 悪い生活を送りながら、
さらにそのよき体制を成立させるために
人々と争い、人々に暴力を加えたり、人々を殺したりすれば
---換言すれば、諸君自身が現在以上に悪い人間になれば
その後、素敵な生活が訪れる と約束する始末jなのです。
親愛なる諸君、そんなことはけっして信じないでください。
人々の生活がよくなるための方法は ただ一つ。
人々自身がよくなることです。
すべての人々の救いは、
罪深い 暴力的な社会革命のなかにはなく、
精神革命のなかにこそあるのです。
人生観を変えることは
権力者や富者にとっても、
隷属者や貧者にとっても、
ともに 必要なのです。
むしろ 隷属者や貧者にとってのほうが
富者にとってよりも 容易なくらいです。
隷属者や貧者としては、
自分の境遇を変えないままで、
ただ 愛に反するようなことをしないこと
暴力行為に荷担さえしなければいいのであって、
そうすれば 現在の愛に反する体制は
おのずから 倒れるでしょう。
ところが 権力者にとっては
愛の教えを受け入れてこれを実行することは、
はるかに困難です。
その教えを実行するためには、
自分たちの所有する権力や富の誘惑を
斥(しりぞ)けねばなりません。
何事につけても 何よりもまず、
相手が泥棒であろうと酔っ払いであろうと
横暴な上役であろうと手下のものであろうと
すべての人と接触する際に
愛情を失わないような
相手にとって 何が必要かを
考えるような生き方をしてみてください。
そんな具合に 一定の期間 暮らしたあとで
実際に 愛の実践が われわれの生活を
幸福にするか それともそれは言葉だけなのかの
結論を出してください。
人が自分に加える悪に対して
悪をもって報いる代わりに
よからぬ生き方をしている人の陰口を言う代わりに
どうか 善をもって悪に報いるように
人の悪口など言わないように
家畜や犬に対しても ひどい扱いはしないで
優しく 愛をもって接するように努めてみてください。
そんな具合に 1日 2日 あるいはそれ以上
実験と思ってやってみて、その間の諸君の精神状態を
従来の精神状態と 比較してみてください。
そうすれば諸君は、以前の 陰鬱で、腹立たしくて
重苦しい気分から、
明るく楽しく喜ばしい気分になれることがわかるでしょう。
またそんな具合に 2ヶ月 3ヶ月と暮らしてみれば
諸君の精神的喜びが どんどん大きくなり
諸君の仕事は 崩壊するどころか
ますます成功することがわかるでしょう。
親愛なる諸君、どうかそれを実験してみてください。
そうすれば 愛の教えが 単なる言葉ではなくて
実際に 重大な事柄、万人にとってもっとも身近で
理解しやすい 大事な事柄であることがわかるでしょう。
--レオ・トルストイ 〔互いに相愛せよ〕文読む月日(下)
Leo Tolstoy (1828-1910) "Love Each Other" 1906
Лев Николаевич Толстой
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トルストイ-【懺悔】-北御門二郎の翻訳で
言葉の力
トルストイ--生きる光を見失って
仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣 English & Français
http://wengu.tartarie.com/wg/wengu.php?no=180&l=Lunyu&lang=fr
Les quatre livres