林秀彦氏 少年時代の思い出 『ぼくは恋をした』

ぼくは 木炭バスに乗っていた。

正面に おかっぱの少女が座っていた。

紅い毛糸のパンツが、小さなスカートの下から見えていた。


ぼくと同じに、彼女の短い脚は まだ床につかず、
ぶらぶらさせていた。

戦争の始まる直前だった。 ということは
昭和14年か15年、 ぼくは5歳か、6歳。


バスは桜田門から半蔵門にかけて、三宅坂を登っていた。

母と一緒だった。

母は その後 見慣れることになったモンペ姿ではまだなく、

地味な色合いの和服に、薄ねずの羽織を着ていたように憶えている。


突然、 車掌が声を張り上げた。

ほぼ、こんなふうに。

ご乗車の皆様、宮城のかしこきあたりに対し奉り、起立、最敬礼!


ちらりと、ぼくの視線と 紅いパンツの少女の視線が合った。


乗客が 一斉に、動くバスの中で立ち上がり、
ぐらぐら振動に揺れながら、
松の生い茂る 内堀の方角に向かい、一斉に頭を下げた。


ぼくは  いやだった。
絶対に  いやだった。

強制されることほどいやなことは、この世に なかった。


ぼくは 座ったまま、  動かなかった。

秀彦、お立ちなさい
と 母が頭を下げながら、横目で言った。


いやだ


言いながら ぼくは、
少女が じっとぼくを見つめているのに気づいた。

紅いパンツも 座ったままだった。

それがぼくには 驚きであり、
驚きは 強い喜びとなって、全身に熱く 血潮が駆け巡るのを感じた。


秀彦--
母の小声が、ぼくの耳朶(じだ=みみたぶ)を打った。

イヤダ!

今度は 少女に聞こえるように、意識的に 大きな声を出した。

少女の大きな目は、見張るように ぼくを見つめていた。
彼女の母親も よろめきながら最敬礼をしていた。

バスの中で立っていないのは、 ぼくと 少女 だけだった。


ぼくは 彼女が最後まで一緒に座っていてくれることを、必死に願った。

こんなことを人に命令するなんて、まちがっているんだ!
どんなことだって、
バカなことを人に無理にさせるのは、いけないことなんだ!”


と ぼくは心の中で 少女に説明していた。


すると、まるでその心の声が聞こえたように、紅いパンツは座ったまま、
ぼくに向かって、こっくり、 と頷(うなづ)いた。

そして、最後まで、立たなかった。


バスは三宅坂を登りきり、麹町(こうじまち)の方角へ左折し、
乗客は 座りなおした。


知りませんよ、憲兵さんにつかまっても

と母が 着物の襟(えり)を正しながら言った。


殺されたって最敬礼なんてしない

困った子ね


ぼくは 少女に言ったつもりだった。

どう考えても 走るバスの中で頭を下げるなんて ばかばかしかった。

それを命令する車掌(しゃしょう)が、たまらなく 憎かった。

でも... 、 どんな罰を受けるのか、
もし 憲兵につかまったら... 、 ジュウサツ?


もしジュウサツされるなら、

それは同じように立たなかった紅い毛糸のパンツを助けるためだ。


この子を 守ってあげなくてはならない。


そう思ったとき、 怖さが 消えた。

ぼくは恋をしたのだった。

---林秀彦氏 『ココロをなくした日本人』(絶版)より抜粋

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

林秀彦氏 【子どもは求めている。なにを?希望を!】

盲目的に命令に従ってはならない(ドイツ社会)
非人道的な命令については、
それが自分に不利な結果をもたらしても、拒否する義務がある。

Leo Tolstoy トルストイ
縄文語--【神々の詩】 姫神

伊丹万作氏--『騙された者の罪』