伊藤一長・前長崎市長の言葉と今を重ね合わせて
原子力資料情報室
本日、原子力資料情報室は下記要請書を内閣総理大臣、
外務大臣、経済産業大臣、原子力委員会委員長宛に送付しました。
この件に関するお問い合わせは
原子力 資料情報室(担当:伴英幸、Philip White)までお願いいたします。
日印原子力協定は核拡散に加担するもの
報道によれば、菅内閣は
日本とインドとの原子力協定の締結に向けて、6月28日に交渉に入った。
「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限 り、
安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、
その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする」は、
日本が原子力発電を始めるにあたっての基本方針であった。
いま、それが菅内閣によって捨て去られようとしている。
ヒロシマ・ナガサキでの言語に絶するいたましい 体験を経たうえでなお、
日本が原子力に取り組むことを決意したとき、
「平和目的に限ること」が絶対的条件であった。
この歴史的事実を軽視し忘却すること は、
国際情勢や経済事情の
どのような変化があろうとも、
決して許されることではない。
インドは国際世論を無視して
核開発を強行してきた国である。
いまだNPT国際条約に加盟しようとはせず、
核兵器廃絶への国際的な努力にも背を向けている。
核兵器製造用の原子炉と電力供給用の原子炉とを持ち、
双方が 截然と分離されているのではない。
截然(せつぜん)=物事の区別がはっきりしているさま
そもそも、一国の中で、人材、教育、技術、機器などが
軍事と民事とで別々だということもありえない。
米、露、仏 などの諸外国が
インドとの原子力協定を結んだからという理由で、
かつ、わが国の商業的利益が期待できるからという理由で、
日印原子力協定が結ばれるなら ば、
今後もはや、世界の核拡散は止めようがなくなるだろう。
ヒロシマ・ナガサキの惨劇が再び、現実のものとなるだろう。
1953年、アイゼンハ ワー米大統領は米ソの緊張関係の中で
「平和のための原子力」という主張を語った。
しかし、これは大なる仮説というべきものである。
その後の世界は核の拡散 が止まらず、
核の「平和利用」は成立しないのではないかという現実が続いている。
原子力資料情報室はこの35年、
「平和利用」そのものさえも、
人 類の平和で持続可能な未来をそこなう心配があるのではないかと、
警鐘を鳴らしてきた。
すくなくとも、これまでの日本の基本姿勢に立ち返って、
イン ドとの原子力協定に踏み込んではならない。
関係各位に強く、このことを求める。
2010年6月29日
認定特定非営利活動 法人原子力資料情報室
共同代表 山口幸夫 西尾漠 伴英幸
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長崎平和宣言 2006
「人間は、いったい何をしているのか」
被爆から六十一年目を迎えた今、
ここ長崎では怒りといら立ちの声が渦巻いています。
一九四五年八月九日十一時二分、
長崎は一発の原子爆弾で壊滅し、
一瞬にして、七万四千人の人々が亡くなり、七万五千人が傷つきました。
人々は、強烈な熱 線に焼かれ、すさまじい爆風で吹き飛ばされ、
恐るべき放射線を体に浴び、
現在も多くの被爆者が後障害に苦しんでいます。
生活や夢を奪われた方々の無念の叫 びを、忘れることはできません。
しかし、いまだに世界には、
人類を滅亡させる約三万発もの核兵器が存在しています。
十年前、国際司法裁判所は、
核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反するとして、
国際社会に核廃絶の努力を強く促しました。
六年前、国連において、
核保有国は核の拡散を防ぐだけではなく、
核兵器そのものの廃絶を明確に約束しました。
核兵器は、無差別に多数の人間を殺りくする兵器であり、
その廃絶は人間が絶対に実現すべき課題です。
昨年、
百八十九カ国が加盟する核不拡散条約の再検討会議が、
成果もなく閉幕し、
その後も進展はありません。
核保有国は、核軍縮に真摯(しんし)に取り組もうとせず、
中でも米国は、インドの核兵器開発を黙認して、
原子力技術の協力体制を築きつつあります。
(2007年7月妥結 ⇒2008年8月国際原子力機関IAEA理事会承認)
一方 で、核兵器保有を宣言した北朝鮮は、
わが国をはじめ世界の平和と安全を脅かしています。
また、既に保有しているパキスタンや、
事実上の保有国と言われてい るイスラエルや、
イランの核開発疑惑など、
世界の核不拡散体制は崩壊の危機に直面しています。
核兵器の威力に頼ろうとする国々は、
今こそ、被爆者をはじめ、平和を願う人々の声に謙虚に耳を傾け、
核兵器の全廃に向けて、核軍縮と核不拡散に誠実に取 り組むべきです。
また、核兵器は科学者の協力なしには開発できません。
科学者は、自分の国のためだけではなく、
人類全体の運命と自らの責任を自覚して、核兵器の開発を拒 むべきです。
繰り返して日本政府に訴えます。
被爆国の政府として、
再び悲惨な戦争が起こることのないよう、
歴史の反省の上に立って、
憲法の平和理念を守り、
非核三原 則の法制化と
北東アジアの非核兵器地帯化に取り組んでください。
さらに、高齢化が進む国内外の被爆者の援護の充実を求めます。
六十一年もの間、被爆者は自らの悲惨な体験を語り伝えてきました。
ケロイドが残る皮膚をあえて隠すことなく、
思い出したくない悲惨な体験を語り続ける被 爆者の姿は、
平和を求める取り組みの原点です。
その声は世界に広がり、長崎を最後の被爆地にしようとする活動は、
人々の深い共感を呼んでいます。
本年十月、第三回「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」が開催されます。
過去と未来をつなぐ平和の担い手として、世代と国境を超えて、
共に語り合おうで はありませんか。
しっかりと手を結び、さらに力強い核兵器廃絶と平和のネットワークを、
ここ長崎から世界に広げていきましょう。
被爆者の願いを受け継ぐ人々の共感と連帯が、
より大きな力となり、
必ずや核兵器のない平和な世界を実現させるものと確信しています。
最後に、無念の思いを抱いて亡くなられた方々のみ霊の平安を祈り、
この二〇〇六年を再出発の年とすることを決意し、
恒久平和の実現に力を尽くすことを宣 言します。
2006年(平成18年)8月9日 長崎市長 伊藤一長
---長崎市長 伊藤一長氏 射殺事件
2007年4 月17日に JR長崎駅近くの歩道で
山口組系暴力団幹部の男に銃撃され、死亡。享年61歳
『すべての核保有国の指導者は、この写真を見るべきであります』
05年 5月、
米ニューヨークの国連 本部で開かれた
核不拡散条約(NPT)再検討会議の本会議場で発言
長崎の原爆で黒こげになった少年の写真を掲げ、
「核兵器と 人類は共存できない」と訴えた。
長崎市長射殺事件で
死刑判決を受けた暴力団幹部城尾哲弥被告(60)の弁護団は26日、
閉廷後に面会した城尾被告が「控訴しないでほしい」
と求めたことを明らかにした。'08,05,26 西日本新聞
「真相究明というよりは、裁くためだけの裁判ではないか」
判決前に伊藤一長氏の遺族が漏らした懸念は現実となった。'08,05,26
--ホロコースト記念日4月16日(日本時間17日)に射殺された
伊藤一長・ 前長崎市長--【原発】---大前研一氏
http://denik-bise.blogspot.com/2009/07/blog-post_30.html
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『地 域切り捨て』金子勝氏 高端正幸氏 以下抜粋
語られない未来
2007年7月16日、新潟県中越沖地震によって、
柏崎刈羽原発の3号機の変圧器から出火。
さらに6号機からは、微量の放射能が含まれた
使用済み燃料の保管プールの水が 海へ流出した。
報道された原発の安全対策は
あまりに脆(もろ)く、多くの人々に衝撃を与えた。
それだけではない。
2002年にも、
柏崎刈羽原発で 東京電力(東電)のトラブル隠しが発覚したが、
今回も 事故報告が遅れただけでなく、
中央制御室内被害を過少報告していることが明らかになった。
依存症と禁断症状
原発による地域振興とは 何だったのか。
たしかに、原発という 都市が引き受けない施設を受け入れることで、
多額の税収や交付金を獲得する理由が立つ。
だが、もともとこれといった産業のない地域であったがゆえに、
いったん原発が建設されると、
財政も雇用もすべて 原発に吸い寄せられる。
運転開始の5年後を過ぎると、交付額が急激に減る。
固定資産税も、減価償却が進むと 大幅に減る。
皮肉なことに、
原発以外に なかなか新しい産業が生まれにくくなってしまう。
それが、
原 発への依存症から抜け出ることを ますます難しくしてしまう。
『環 境エネルギー革命』金子勝氏+アンドリュー・デウィット 以 下抜粋
日本のメディアは、風力や太陽、地熱などの再生可能エネルギーは
日本に適していないという主張を並べ立てる。
風の吹き方にはむらがあるし、地熱の見込みも低いといった理由だ。
だが、こうしたあらゆるエネルギーの
すべてにおいて業績が下がっているというのは、地政学の問題というより、
政 治経済学の問題のように見える。
特に、原子力発電のロビイストは、
研 究開発の予算の大部分を確保しており、
永田町の政治家とつながっているようだ。
オッ クスフォードリサーチ報告書('07,03)
「原子力は非常に危険である」
「他のエネルギー源と比べるととりわけ危険だ」
「二酸化炭素排出量 の削減に貢献するには不十分だし、
貢献できたとして もそのプロセスは遅い」