虫の話 動物との関わりの話 クジラ 魚の話
鈴木孝夫氏 『日本人はなぜ日本を愛せないのか』 抜粋
”虫”の話
わずか2、30年前のことですが、
日本の家には虫除けの網戸(あみど)など全く無く、
夏には蚊(か)はおろか、蛾(が)やコガネムシなどいろいろな虫が、
夜昼構わず飛び込んできたものです。
そのため夜寝る時は、どこの家でも蚊帳(かや)といって、
麻や木綿で作った細かい目の、大きな四角い網(あみ)を、
柱や鴨居(かもい)から金具をつけた紐(ひも)で吊り下げ、
その中に布団を敷いて休んだものです。
家で仕事するときや、夕涼(ゆうすず)みで縁先(えんさき)に座る時などは、
いろいろな草や杉の葉などを燃やして、
蚊を追い払う「蚊いぶし」や「蚊遣(や)り」をしていました。
これらの方法は、
蚊そのものを殺してしまうわけではなく、
ただ人と蚊の、
人にとっては好ましくない接触を
回避することだけを目的とするものでした。
それがいつしか日本でも、蚊いぶしの習慣が見られなくなり、
そして蚊遣り線香は
いつのまにか蚊取り線香と名が変わってしまったのです。
つまり、蚊を追いやるだけでは満足できずに
毒性の強い煙で蚊を殺してしまうという、
蚊にとっては優しくない駆除(くじょ)の姿勢に変わってしまったのです。
小林一茶(こばやし・いっさ)は、
小鳥や小さな生き物にも、
暖かい目を向けた多くの俳句を作ったことで知られています。
やれ打つな 蝿(ハエ)が手を擦(す)る 足を擦(す)る
アメリカ的な発想は実に単純明快で、
蚊の発生源になるすべての水溜(た)まりをなくせば
蚊が原因の病気は根絶(こんぜつ)出来るとして、
蚊の発生を徹底的に抑える
短期的に見ると、非常に効率の高いものでした。
しかし現在では、
このような完全に人間中心的な世界観が、
徐々に自然界の微妙なバランスを崩し、
結局は地球規模での環境破壊につながる恐れがあることが、
段々と明らかになってきています。
人間は、大は目に見える寄生虫から小は顕微鏡でしか見えない、
いろいろな細菌や微生物
、いや顕微鏡でも見えないぐらいの微細な、
各種のヴィールスとの共生状態でしか、
健康には生きていかれないのです。
別の言い方をすれば、
純粋に人間だけでできている人間、
体の中に人間以外の生物を
すまわせていない純度100%の人間は存在しないということです。
つまり、人間は私たちが考えているほど
他の生物から独立して、自分一人で生きているわけではないのです。
たとえば腸内にすむ寄生虫のサナダムシなどは、
多すぎれば健康に害があるのは当然ですが、
ある程度まではいたほうが、
体の免疫抵抗力を強めるために良いと考える専門家もいます。
細菌や微生物ともなれば、
人体の正常な働きや機能を維持するためには
不可欠なものであるのですから、
健康な人間はみな他の生物と共存していると言えるのです。
ペニシリンなどの抗生物質は、
病原菌を殺すという点では大変に効果があるのですが、
それと同時に
人体になくてはならない体内の有益な細菌まで皆殺しにするため、
いろいろと副作用が問題になるのです。
最近ますます清潔志向の強まっている先進国、
特にアメリカやそれに追随する傾向の著しい日本では、
薬品を次から次へと開発して儲けようとする商業主義が顕著です。
そのために必要な微生物まで巻き添えにされて、
その結果人体の抵抗力が弱まり、
一昔前だったら考えられないような皮膚病や、
アレルギーと称せられる、
異物に対する過敏な反応で悩む人が増えているのです。
私たち人間とは、
自分たちがそれを意識していようといまいと、
自分以外の無数の生物や無生物と、
切っても切れない密接な共存共生の網目の中で生きていることになります。
人間の体内に住む数え切れないほかの生物のおかげで、
営み(動植物を食べ、空気を吸って水をのむ。
これらのものは体内でさまざまに形を変えて体の一部になり、
やがて再び別の形をして外部に出て行く)が行われているのです。
そして私たちが死ねば、
体は色々な物質に分解して、
それがやがては他のさまざまな生物の栄養源として吸収されるのです。
”動物との関わり” の話
明治までの日本では、
仏教的な世界観に基づく動物観が、
一般の人々の間では支配的でしたから、
人間と動物の間は、輪廻転生
(りんねてんしょう/りんねてんせい=生死を重ねて生まれ変わること)
の仕組みで、完全には断絶していないと受け止められていました。
日本でも、
魚や野山の鳥やけだものといった生き物を取って食べることは、
それこそ悠久(ゆうきゅう)の昔から行われて来ました。
しかし、6世紀の前半に大陸から渡来した仏教が広まるにつれて、
四足の動物を食べることはご法度(はっと=禁令)となり、
やがてそれは忌(い)み嫌われるタブーにまでなったのです。
この肉食の禁忌(きんき=タブー)はその後1300年も続き、
それが解かれるのはようやく明治になってからのことです。
現代のような猟銃で雉(きじ)や鳩(はと)を撃ったり、
鹿(しか)や猪(いのしし)を殺したりする狩猟(しゅりょう)が、
それを生業(なりわい=世わたりの仕事)としてではなく、
娯楽つまりスポーツとして広く行われるようになったのは、
やはり日本が明治以後、西欧文化の影響を受けたためなのです。
最近アメリカから伝わってきた
キャッチ・アンド・リリース式の釣りとなると、
釣った魚を再び水に戻すのですから、
これはただ魚を傷つけ苦しませることだけが、
釣る人の喜びとなっているわけでしょう。
これはまさに「動物虐待」を楽しんでいることになるわけです。
命ある生き物をいじめて殺すことを娯楽とする文化は、
古代ローマのコロッセウムでのサーカスが有名ですが、
そのローマに400年も属領(ぞくりょう)とされたイギリスの文化には
その影響が強く残り(やっと禁止された悪名高き狐狩りなど)、
それが更にイギリス人によってアメリカに伝えられたと考えれば、
なるほどと納得がいくと思います。
私たち日本人から見れば
理解しがたい生き物に対する態度や扱いは、
「人間にだけしか魂がない」というアリストテレス的な生物観と、
それを引き継いだヨーロッパのキリスト教的世界観に
今でもしっかりと残っている
というのが私の考えです。
クジラ 魚の話
欧米諸国が中心となって非難している日本の捕鯨なども、
鯨から欲しい油だけを採ってあとはすべて平気で海に捨てていた
西欧の伝統的な捕鯨とは全く違い、
肉はもちろん、鯨の全てを余すところなく役立てたのです。
しかもその上死んだ鯨の霊をなぐさめるため、
塚を立てて供養までするという、
古代アニミズム的な側面を保持した、
人間が他の生物との共存共栄をはかる理想的なものだったのです。
先日私は四国の高知市を訪れましたが、
市内の天満宮の境内で、
魚と包丁、そしてお箸のための塚が、
三つ揃って建てられているのを見ました。
高知は漁業で生計を立てている人の多いところですから、
人間のために死んでくれた魚の霊を慰め、
魚をさばくのに役立った包丁の苦労をねぎらい、
魚を食べるのに働いてくれたお箸に感謝するという、
これらの塚を建てた人々の気持ちは痛いほどよく分かりました。
これこそ、食べ物に対して日本人の誰もが、少し前まで持っていた
「ありがたい」「もったいない」「おかげさまで」といった、
自分たちが万物の互いのつながり、
支えあいの中で生きている、
生かされているという自覚の現われにほかなりません。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
宮沢賢治からのメッセージ--動物の”魂”に目を向けて
アニミズムとテクノロジーが共存する魅力にドキッ!