脱・弱者切り捨て(皆殺し)思想
平岡 敬 氏 広島市長(1991年~1999年)
私の平和論 ヒロシマをめぐって
この社会を貫いている価値観というのは何かというと、
効率化、あるいはスピード、画一化といったもの。
それが絶対的な価値として社会を貫いている。
今の産業経済システムは工業を優先した社会で、
それを支えているのは近代科学技術。
そうした効率主義というのものは結局、弱者切り捨てにつながっていく。
弱者を切り捨てる思想の中に私達は生きている。
その思想というのは、
実は核兵器の持つ「皆殺しの思想」と、まったく根っこは同じ。
豊かで公正で、そして誰もが安心して暮らせる社会
戦争をしなくてもすむ国際社会 市民社会を、
今後どうやってつくるかということ。
生き方を振り返り、ある程度 欲望を自制すること。
欲望に身を任せていると、どうしても今の現実を肯定するから、
欲望を自制することで、初めて広島が世界の舞台の中で発言権を持つ。
核時代においては、
人間が自分の利己的な欲望を自制する倫理を立てない限り、
未来への展望は開けない。
人間が自らの欲望を自制するという倫理を打ち立てなければ、
人間の未来はないということが、
実はヒロシマ・ナガサキの教訓だったのではないか。
人間の根源に返って、
自分が果たして本当に欲望をコントロール出来るかどうか。
そうしたことが出来ることによって、
初めて平和というものを現実的なものとして見ることが出来る。
自分の生活と理想をどう近づけていくかという努力をしない限り、
核兵器廃絶と言えない。
ゴミを捨てない 環境を大事にする 近所の人に親切にする
それが私は平和をつくることだと思っている。
☆ ☆ ☆
-吉川元忠氏 『国富消尽』
どんどんグローバル化を進めていった場合、
日本はアメリカの亜流のような国になるでしょう。
アメリカに対抗できる思想体系を日本は持たなければならないと思います。
(正確にはアメリカを羽交い絞めにしている世界支配層に対抗できる思想)
哲学や思想、そして『万葉集』や『源氏物語』といった
文化から民族の歴史までをも含めた巨大な思想体系、
あるいは経済思想の体系がなければ、だめだと思うのです。
国際政治学者のジョセフ・ナイは、
自国の価値観を他国にとって望ましいと感じさせ、
協調を生み出す力を「ソフト・パワー」と呼んでいます。
日本のソフト・パワーは何かというと、
それは半導体やデジタル技術などではなく、
先ほど言ったように、最後は思想だと思うのです。
誰かがやらなければ、
アメリカ流のグローバリズムに世界は呑み込まれてしまいます。
日本がアジアに訴えるにしても、
最後はそういう思想が問われることになると思うのです。