H.D.ソロー 生計は愛するものでたてよう
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817-1862)Henry David Thoreau
アメリカ生まれの作家。
Martin Luther King, Jr.
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、
1944年、大学生の頃にソローの作品を読み、
やがて自分の非暴力的な黒人差別反対運動に役立てた。
アメリカ古典文庫4 『無原則な生活』木村晴子さん翻訳
ぼくたちの人生の送りかたを考えてみよう。
この世は実業の場である。それは何という果てしない空騒ぎだろう。
ぼくはほとんど毎晩、機関車があえぐ音で眠りを破られる。
その音はぼくの夢を中断する。
安息日などというものはない。
人類が 一度だけでものんびりしているのを見られたら、すばらしいことだろう。
ところが、仕事、仕事、に次ぐ仕事だけなのだ。
ぼくは、この絶え間のない実業は
何よりも詩や哲学、そうだ、人生全体に反していると思う。
犯罪のほうがまだましだ。
ぼくたちが偏狭なのは、
目的ではなく
手段にすぎない貿易、商業、工業、農業というようなもののみへの献身によって、
ぼくたちが歪められ、狭められてしまったからである。
ある男が、森を愛するために毎日の半分を森で散歩して暮らしたら、
彼はのらくら者と見なされる危険がある。
しかし、彼がまる1日これらの森を刈り込み、
土壌を若はげにする相場師として暮らしたら、
彼は勤勉で企業心に富んだ市民だと重んじられるのだ。
まるで、町が森に対して持っている興味とは、
それを刈り倒すことにしかないかのようだ。
人が金を得るための道は、ほとんど例外なしに、人を堕落させる。
ただ金を稼ぐために何かをしたいということは、
真に怠けていたと同じか、それよりも悪い。
もし、労働者が雇い主の払う日当以外何も得ることがなかったなら、
彼はだまされたのであり、また、自分で自分をだましているのだ。
ぼく自身の仕事についていえば、
ぼくがもっとも満足して行なえるような測量は、
測量を依頼した人が欲しないものである。
彼らは、ぼくが自分の仕事を粗雑に行ない、
それが正確すぎないことを、
いや、十分に正確ではないことを望んでいる。
測量の仕方にもいろいろあるようだが、
ぼくの雇い主が求めるのは
たいてい彼の土地がもっとも広くなるような仕方であり、
もっとも正しい測り方ではない。
労働者の目的は、生計をたてることや「よい仕事」を得ることではなくて、
ある仕事を申し分なく果たすことであるべきだ。
そして、労働者の賃金をひじょうに高くして、
彼らが単に生活のためというような、低い目的のためではなくて、
科学的とか、精神的目的のためにさえ働いていると感じさせたほうが、
町にとって金銭的な意味でさえも節約になることだろう。
仕事を金のためにするような人間を雇わず、
仕事への愛のためにするような人を雇いなさい。
この世に単に財産相続人として生まれることは、
生まれるというより
死んで生まれるといったほうがよいだろう。
自分の好みにあい、
満足を与えるような仕事をしている人がひじょうに少なく、
一般にほんの少しの金や名声で
現在の仕事から買収されてしまう人が多いことは、驚くばかりだ。
もしぼくが、
たいていの人はしているらしいのだが、
午前と午後の両方を社会に売ってしまえば、
ぼくにとって生きる価値のあるものが 残らなくなってしまうと確信している。
人生の大半を
生計をたてるために費やしてしまうこと以上に致命的大失敗はないだろう。
あらゆる偉大な事業は自給自足的である。
生計は愛することによってたてなければならない。
精神生活が衰えるに比例して、
ぼくたちはやけになって、始終郵便局に行くようになる。
自分の広範な文通を自慢するように、
一番たくさんの手紙を持って歩み去る哀れな男は、
もうずい分長いあいだ
自分自身からの便りをもらっていないことを、ぼくは請(う)けあう。
ぼくたちを宇宙の事実に関連づけるために、
毎日の日の出や日の入りを
真心こめて見ることは、
ぼくたちを永遠に正気に保ってくれるだろう。
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