自然とのかかわり--日本の伝統的な考え方

創造者たち上 ダニエル・J・ブアスティン

訳:立原宏要氏 伊藤紀子さん pp.168-179 以下抜粋

日本人との伝統的な自然とのかかわりは、
あらゆるところに表現されていて、それが神道の神信仰である。

日本語の神の語源は不確かなもので
西欧の似たような言語で それを的確に表現することはできない。

江戸時代の神道の擁護者 本居宣長(もとおり のりなが)によれば、
神は「鳥、獣、木、草、海、山といったものに宿る。古代語の用法では
常ならず優れていて、畏(おそ)れおおいものをカミという」
(本居宣長『古事記伝』)

神が遍在(へんざい)し、それを崇拝するのであるから、
あらゆるものに畏敬(いけい)の念が払われることを意味する。
遍在=広くあちこちにゆきわたって存在すること。
畏敬=崇高なものや偉大な人をおそれ うやまうこと。

古代の神道は、あらゆる自然物一つひとつの特殊性や独自性に
畏敬の念を抱き、それぞれに独自の神を見いだした。

吹く風と不動の山を、単一の不毛の抽象概念で
ひとまとめにしてしまうようなことは なかった。

☆     ☆

『日本書紀』の神話では、
男も女も 自然のあらゆるものの兄弟であり、姉妹である。

人間は 自然を「支配」するものではない。

人間は その一部分だからである。

人間は 他の生物の主人になることは できない。

すべての生物が 同じ家族のメンバーだからである。

そして 神は 人間の協力者なのだ。

☆     ☆

キリスト教の神学では、「自然」のままの人間は
原罪を贖(あがな)っていないために  なのである。
贖う=罪のつぐないをする。
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「神は ご自分にかたどって 人を創造された。
神にかたどって 創造された。
男と女に 創造された。
神は 彼らを祝福して言われた。
『産めよ、増えよ、地に満ちて 地を従わせよ
海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物すべて支配せよ』」
(『創世記1・27-28』)
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これほど 日本の伝統的考え方から
かけ離れたものは ないといえよう。

☆     ☆     ☆

西洋建築は 自然の力と闘ったのに対し、
日本人は 自然の力を称(たた)え、
その魅力を利用する方法を 探し求めた。

西洋の建築家は 時の暴虐に対抗しようと
石 を使ったが、
日本人は 服従することで 勝利を収めた。

負けるが勝ち のやり方は、
日本人の生活によく見られる表現方法で、
それこそ 日本女性の武器であると言う人さえいる。
柔道の考え方も同じだ。

相手の力に直接 対抗するのではなく、
自分に有利なように 相手の力を利用してしまう。

古代西洋の大建築作品--ストーン・ヘンジ、ピラミッド
パルテノン、ハギア・ソフィアなどは、風雨や季節、年月に
まともに対抗するために造られた。

しかし、日本建築は 時間と協調するものだった。

西洋人が 生き残ることに意を用いた(=気を配った)のに対して、

日本人は 再生に関心を向けた。


神道は 繰り返される四季の訪れを祝い、
花や木々は それをあまねく(=広く)示すシンボルにほかならなかった。



木造の伊勢神宮が われわれに提供してくれているのは
建築の遺跡ではない。

それは 過去の遺物ではなく、むしろ その再生物なのだ。

というのも、伊勢神宮は つねに新しく、
建築して20年以上を経ることはないからだ。

古代日本の宮大工の技能と規格が 
1500年にもわたって維持されてきたのも 驚くにはあたらない。

なぜならば 各世代ごとに、
最初の建築者の仕事に劣らぬ仕事をする必要と
機会が与えられてきたからだ。


いわば彼らは、世代ごとに新たに自分たちのシャトル大聖堂を建てるのだ。



日本の木造建築では 釘(くぎ)はほとんど使われない。

仕組み継ぎによって 接合されるからである。

扉の隅や窓枠などに使われた
完璧な蟻(あり)かけほぞによる接合などは
西洋人にの目には まるで魔法のように見えた。

1943年以前の日本の大工道具には、
ふつう 179種もの道具が入っていた。

9種類のみの刃先は 3ミリずつ幅が広くなっていた。

西洋の大工なら最高級の飾り戸棚にしか用いないような
繊細きわまる美しい仕上げを、日本の大工たちは
神社や家屋の骨組みに ふんだんに使用した。

木材のそれぞれの部分にあるユニークさを尊重するため、
建築に使われる材木は バラ売りはされない。

木目や色合いの合っている材木を供給するために、
切られた材木は それぞれ一本の木として生えていたときの状態が
わかるように 束ねられる。

西欧の 木材置き場とは 大きな違いだ!

英語のlumber (もともと雑多に置かれたものを意味した)が、
図らずも その違いを示していると言えよう。

日本の大工にとっては、

材木の一本一本が
使用されたあとも 生命が続くことを 主張しているのだ。


☆     ☆     ☆

妥協を知らない西洋の石造建築家たちは
人間の命は短いかもしれないが、
その作品は永遠である と繰り返し誇った。

日本の木造建築家たちは
そうしたごまかしに 惑(まど)わされなかった。

彼らは 伊勢神宮で
芸術の命は 短くとも、
生命と 芸術の創造者たちは 永遠であることを
目の当たりにすることができた。

    

関岡英之氏『仕組まれた「構造改革」』 以下抜粋

〔米国〕*による日本改造 

【建築基準法の改正】阪神淡路大震災が起こった平成7年。

3年後、日本政府は建築基準法を全面的に改正した。
大地震後の改正であれば余計に、
建築基準に関する規制の強化こそが必要なはずなのに、
それとは逆に規制緩和の文言となったのはなぜか。

「仕様規定」を「性能規定」に変更するということは、
建築の建て方そのものを変えてしまい、

日本古来の匠の技術を不要にし、

外国の工法や建材が
どっと日本に入ってくる道を開くこと以外の何物でもない。


地震が多い日本の建築基準は、
海外の基準や国際規定より 厳しくなっている。

日本の基準を海外に合わせる といういことは、
日本の基準を「必要最小限」まで緩和する というに等しい。

地震国の常識に逆行する この不可解な法改正が行なわれたのは なぜか。

それは、この法改正が、アメリカ政府の圧力、
具体的には、アメリカ建築業界の圧力によるものであったからだ。

アメリカは、以前より、
日本の建築基準法や 製品規定などが 
アメリカ産木材製品の輸入拡大の障害になっている

と批判していたのである。

そして、この法改正が実施された翌年まで、
アメリカの「年次改革要望書」には、
毎年 「住宅」が重点分野として盛り込まれていた。
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続き...「学者」の上に「職人」--明治以降サカサマ

    

*〔米国〕人たちにとっての〔米国〕ではない。
The two party system has failed America

Our ranking two party politicians can no longer be trusted because they are not making decisions in our interest. World bankers, corporations, and elitists with an agenda have infiltrated our government. These two party politicians are puppets. They serve the elite and only have one goal, globalism. They are not loyal to country or people.

Likewise, our main stream media only serve to reinforce that agenda and manipulate the minds of the people. Fox News, CNN, ABC, CBS, NBC corporate news appear to take their marching orders from Washington and other elitists. They are equivalent to NAZI propaganda in the 1930s. Diversion, deception, misleading, and boycotting REAL news is the name of their game. It’s not a coincidence.