実行に移した「行動」が一つの「功徳」

ひろさちや氏 『般若心経二六二文字の宇宙』 以下抜粋

「布施」(ふせ)--- 他のために 施(ほどこ)す心

一般的には
席を譲った人は いい人で

譲らなかった人は 悪い人 

といったように判断しがちですが

布施(ふせ)という観点から見ると
話は違ってきます。

布施というのは
「席を譲った」という結果よりも
個々が発する 自発的な心を大切にしています。

「結果が目的ではない」ということは、
仏教用語で 「因果一如」(いんがいちにょ)
と言います。

「何かをすることと、
果を生じることといった因果は 一つになっている」ということです。

たとえば

善行をして いい結果を期待したり、
お祈りをして 何か利益を得たい

と考えるのは 間違っています。

そのことを教えている、こんな禅の話があります。

☆     ☆

インドから 中国に 禅を伝えた 菩提達磨(ぼだいだるま)が
はじめて中国へ来て
仏教を深く信仰していた 梁(りょう)の武帝(ぶてい)と
会見したときの話です。

武帝は 菩提達磨に会うと、
すぐに こんなことを尋ねました。

「わしは 即位(そくい=君主の位につくこと)してから今日まで
多くの寺院を建立(こんりゅう)し、経典(きょうてん)を写(うつ)し
僧尼(そうに)たちに 援助を与えてきた。
これには、いったい どんな功徳(くどく=ご利益)があるか?」

すると

菩提達磨は こう言ったのです。

「無功徳」

--- つまり
「そんなものに 功徳はない」 と言ったのです。

自分は これまで 一生懸命善(よ)いことをしてきた

と思っていた武帝が
これを聞いて すっかり慌(あわ)てたことは 
言うまでもありません。

--- なぜ 菩提達磨は 「無功徳」と言ったのでしょうか?

それは、

梁の武帝が 寺を建立するなど
どんなに 善を重ねても

それが 何か 効果や功徳を期待してのものであれば、

功徳はない という意味
で言ったわけです。

つまり、

寺を建てるにしても

寺を建てたことによって 何か功徳を得るのではなく、

寺を建てようと考え、
それを実行に移した その行動が 一つの功徳になっているのだ

ということを 菩提達磨は 教えたかったのです。

☆     ☆

『般若心経』が教える 日々の生き方

布施 という言葉を 国語辞典で引いてみると
「信者が僧侶に金銭財物を施すこと」と書かれています。

たしかに、こういった解釈は間違いではありませんが、

本来の意味は、

相手は 僧侶にかぎらず

人に 物を施す 仏道修行のことをいいます。

また

施すものは

金銭にかぎりません。

たとえば 『無量寿経』(むりょうじゅきょう)という経文には

和顔愛語」(わがんあいご)という教えが説かれており

にこやかな笑顔で 優しい言葉をかける

という意味です。

これも 布施の一つです。


苦虫をかみつぶしたような顔をしていると

いつの間にか 周囲にいる人に

不愉快を与えてしまいます。

こういったことから、つねに にこやかな笑顔をみせたり

優しい言葉をかけることも、

『般若心経』が教える 日々の生き方なのです。

    

Dale Carnegie "How to stop worrying and start living"
D・カーネギー 『道は開ける』 訳:香山晶氏 以下抜粋

人間とは 生まれつき 感謝を忘れやすくできている
絶えず感謝を期待していることは
みずから進んで 心痛(しんつう)を求めていると言ってもよい

私の両親は 他人を助けるのが 大好きだった。

いつも借金で首が回らないくらい貧乏だったけれども、
両親は 毎年必ず 孤児院あてに 寄付金を贈った。

手紙を別にすれば、
両親は 誰からも 礼を言われたことがないだろう。

しかし、 彼らは 十分に報(むく)われた。

何の返礼も期待せずに 幼い子供たちを助けている
という喜びがあったからである。

私が クリスマスの2、3日前に帰省すると
いつも父は、たくさんの子供を抱(かか)えながら
食べ物や燃料を買う金にも事欠く未亡人に
石炭や 食料を買ってあげた話をした。

このような贈り物をしながら
両親は 計り知れない喜びに
--何らの報酬も期待せずに与える喜びに--浸っていた。

アリストテレスは言っている。
理想人は 他人に好意をほどこすことから 喜びを得る


★     ★

キリストは 1日に10人のライ病患者をいやしたが
キリストに感謝したのは
ただ 1人だけだったことを 思い起こそう。

幸福を見つける唯一の方法は
感謝を期待することではなく
与える喜びのために 与えることである。

感謝の念は 後天的に「育(はぐく)まれた」特性であることを
思い出そう。だから、子供に感謝の念を植えつけるためには
感謝の念を持つように 子供に教えなければならない。

★     ★

たとえば 子供のいる前で 他人の親切にケチをつけたくなったら
すぐに 口を閉じよう。

「スーちゃんが クリスマスに送ってくれたこのフキンだけどねぇ、
あの子が編(あ)んだものだよきっと。1セントもかかってないよ」
などと、決して口をすべらしてはならない。

子供たちは 聞き耳をたてている。

こんなふうに 言えばよいのだ。

「スーちゃんは ずいぶん時間を使っただろうねぇ。
このクリスマスの贈り物を作るのにさ。なかなか気のつく子だよ。
すぐに お礼の手紙を書かなけりゃ。」

こうすれば、子供たちは 
知らず知らずのうちに 
賞賛(しょうさん)と 感謝の習慣を身につけるであろう。

もし、私たちの子供が 恩知らずだとしたら、
だれを非難すべきか?
多分、私たち自身だろう。

私たちが 他人に感謝することを教え込まなかったとしたら、
子供たちに感謝してもらえるはずが ないではないか。

★     ★

いつも 不満顔で 孤独を訴えている人を知っている。
姪たちは 彼女に会いに行くだろうか?
えぇ、時々 義務として。

この女性が真に望んでいるのは 愛情と思いやりである。

けれども、彼女はそれを「感謝」と呼んでいる。
そして彼女は、それを自分のほうから要求する限り
感謝も愛情も 得られないであろう。

彼女はそれを 自分の権利 と考えているからだ。

世間には 彼女と同様、忘恩や孤独や無視に苦しむ女性が
無数にいる。 彼女たちは 愛に飢えている。

しかし、

この世で愛される唯一の方法は

自分から愛を要求しないことであり

返礼を期待せずに 愛情を振りまき始めることなのだ。

    

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