やる気 「想像力と創造性」を萎えさせない

学問に情けあり 西山夘三 と早川和男 の続き

    

学問に情けあり』西山夘三氏・早川和男氏 

早川和男氏 「21世紀の学問をになう人びとに」以下抜粋

自己の研究テーマに固有の論理、
そこまでいかなくても研究者としての主体性を持たぬままに

言い換えれば、

何のためにその研究をするのかがわからないまま取り組むと、

研究者にとって一番大切な問題意識や、思考力が流行に流され

それを繰り返していると、

”委託研究”に振り回されているのと同じ
ロボット人間のようになってしまう。

この点について、S.K.ネートル、櫻井邦朋
『独創が生まれないー日本の知的風土と科学』
1989年の指摘には、うなずかされることが多い。
以下、《》は同書引用

日本では《民主主義に立った物の見方、考え方の出来ない前近代的な人間の多くが、徒党を組む》から、大学も研究団体も、それぞれが
《ある種のヤクザ・グループに似た存在となる》のは避けられないことになる。

日本人は他人を評価する際に、出身大学、所属機関、集団など、その人の帰属先を見る。それで、この人はこういう人 と決めてしまう。周りがそう見るし、本人もその集団の中で遊泳する。

保守・革新を問わず、
研究団体などでもそこを支配するイデオロギー、党派性などに
自らの思考を染め上げ、

研究者として最も大切な

”自分で考える”ことを自ら放棄してしまう。

《進歩的といわれる人々でも、
心情的には、民主主義からはるかに遠い、
権威主義的、事大主義的なものが多い》 

事大主義(じだいしゅぎ)
=自主性を欠き、勢力の強大な者につき従って
自分の存立を維持するやり方

「御用学者」は、保守・革新を問わず存在するものであり、
その弊害はかつてのソ連の権力追随の学者などを見れば明らかである。

いずれにせよ、研究者の場合、
どういう仕事であれ、体制維持の役割を果たし、

個人が権力構造の中にはめ込まれて、
その地位が与えられている社会では、

個人のindividuality など、望むべくもない。

独創的な人間が生まれてくる可能性など、なきに等しい。

こういう集団主義の社会では、異論をはさめば、居心地の悪いことになってしまう。その集団の思考方式から外れた見解に対しては口をきわめて非難する。《ムラの中でだれかがムラのしきたりから外れたことをしようものなら、いわゆる村八分にさえしかねない。足をひっぱって、自分たちのところまで引き戻してしまおうとする》。

創造性など、はるか彼方のこととなる。

ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈氏は、
偉い先生からは離れよ」とさかんに強調している。

偉大な業績をあげた先生の側にいると、どうしてもその影響を受け、
あるいは思考が知らず知らず束縛される。

無論、そういう研究室での一定の勉強は
他に替えられない貴重なものだが、
その影響から脱しなければ、それを乗り越えるとまでいかなくても、

主体的に研究にとりくむことは出来にくくなるということであろう。

偉大でなくても、自分の子分を作りたくてしかたのない大学教授がいる。

学問的な覇権を広げたいという欲望にもとづくものだが、

そういう研究室の中に入ってしまうと、

想像力と創造性は、閉塞状態におかれてしまう。

せいぜい亜流にしか育たない。

創造的な研究を目指すならば、

「人は必然的に孤立し、孤高の存在とならねばならない。
他の人々や仲間たちから独立せねばならない。
研究の仕方や、テーマの取り上げ方など、
すべての点で 他の人々から違った視点にたつこと
(エドワード・W. サイード)が必要になる。

人々がグループを作り、その中の一員となって安心を買おうとするのは、
ムラから外れて孤立することを恐れているためである。

日本人学者の多くは、
孤独に十分耐えるだけの強靭な精神を持っていない》から、
革命的な新しい領域を開くテーマが浮かんでこない。

集団主義がとりわけ問題なのは、

自分で考える必要の少ない研究に若い人たちが巻き込まれていることで、

彼らにとって想像力をふくらませる機会は奪われ、思考力は萎える。

その時々の流行が気になり、独創的なアイデアや理論を生む機会が減り、
独自性を失い自主的な研究が出来ない時、
人々が安穏な生き方として選ぶのは、

誰か他人の下について、
その人に率いられるグループの一員となるという道で、悪循環に陥っていく。

日本人に初めから論理的思考能力がないのでなく、
長年にわたり以上のような環境に置かれておれば
そうならざるをえないとみるべきであろう。

《独創に至る道は、ただ単に孤独というだけでなく、
孤独におかれた状態が、時にはきわめて長く続く道である》

どうすれば知の閉塞状態から脱することが出来るのか。
サイードは「知識人はアマチュアたるべきである」と言う。

彼の言うアマチュアリズムとは、
「専門家のように利益や褒章によって動かされるのではなく
抑えがたい興味によって衝き動かされ
より大きな俯瞰(ふかん)図を手に入れたり、
境界や障害を乗り越えて様々なつながりをつけたり、
特定の分野にしばられずに、
専門職という制限から自由になって、観念や価値を追及する

「利益とか利害に、もしくは狭量な専門的観点に縛られることなく、
社会の中で思考し、憂慮する人間」である。

思考方式の人間は、独立・自負の精神がなければ成立しない。

現実は、権威従属・権力追従・集団帰属志向・孤立苦手型人間が多い。

こういう状況のもとで創造的研究に取り組むには、

集団主義から脱し、孤独に耐えうる強靭な精神力が不可欠となる。

主体的で、権力・金力に従属しない学者・知識人

(本当の意味での)職能人・専門家が少しでも増えることが、
この日本をよくする基本的条件の一つと考える。

    

早川和男氏 日本居住福祉学会会長。神戸市在住。

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