~心を清澄にする場~神社 神林 池泉

宗教と現代がわかる本2007』 

鎌田東二氏 「神道と環境と平和」 以下抜粋

生態学的宗教文化としての神道(しんとう)

神道という宗教文化の核には、
自然信仰(自然崇拝)があり、
その自然の生成する神聖エネルギー
「ちはやぶる神」とか「八百万(やおよろず)の神」として
尊崇(そんすう)してきた。


古来、神威(しんい)、神格、霊性を表す言葉には、
「イカヅチ」(雷)、「カグツチ」(火の神)、「ミヅチ」(水の神、蛇)、
「ヲロチ」(大蛇)、「ノヅチ」(野の神)の「チ」、「ヤマツミ」(山の神)、
「ワダツミ」(海の神)の「ミ」、「ムスヒ」(産霊)、「ナホヒ」(直日)、
「マガツヒ」(禍つ日)の「ヒ」、

また「オホモノヌシ」(大物主神)、「モノザネ」(物実)の「モノ」、
「オホクニヌシ」(大国主神)、「コトシロヌシ」(事代主神)、
「ヒトコトヌシ」(一言主神)の「ヌシ」、「オホクニタマ」(大国魂神)の「タマ」、
荒びうとび来る「オニ」(鬼)、「イザナギノミコト」(伊邪那岐命)、
「イザナミノミコト」(伊邪那美命)の「ミコト」など多様な語があった。

そしてそれらを総称する語として「」という語が生まれ、

それを祀(まつ)り 奉(ほう)じる道としての「神道」という語が生まれた。

☆ ☆ ☆

熊野を愛し、那智大社の森に入って
粘菌などの研究をしていた南方熊楠。

明治末年、政府の命令により神社合祀(合併)実施時、猛然と反発。

理由
敬神思想を弱める 
民の和融を妨げる

地方を衰弱させる 
国民の慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を害する

愛国心を損なう 
土地の治安と利益に大害がある

史跡と古伝を滅却する 
天然風景と天然記念物を亡滅する

南方熊楠 

わが国の神社、神林、池泉は、
人民の心を清澄(せいちょう)にし、
国恩のありがたきと、
日本人は終始日本人として楽しんで世界に立つべき由来あるを、
いかなる無学無筆の輩にまでも円悟徹底せしむる
結構至極の秘密儀軌(ぎき)たるにあらずや


アメリカのジャーナリストJ.W.T.メーソン『神ながらの道』
自然の霊性」が宿る神社とは、
普遍的霊性」に挨拶をする「霊的元気回復の場所」である。

★    

ヘドロで泥だらけの「クサレ神」を救う