ABCCカルテ開示請求 63年後に知る真実

見過ごされた被爆~残留放射線 63年後の真実~ NHKスペシャル8/6


被爆後、広島や長崎市内に入った入市被爆者は
直接被爆していないにもかかわらず、
放射線の影響とみられる急性症状が現れ、
その後、白血病やガンなどで亡くなった。
当時、いたる所で放射性物質と化した土砂や建物、死体から
強い残留放射線が発生したことなどにより、
相当量の被ばくをしていたとみられる。

昨年、発見された資料では、
アメリカは1950年代に残留放射線の調査を始めながら
「科学的に役立たない」と中止していたことがわかった。

「9月の台風で 計測が不可能になった」
「他の仕事が入った」と”中止理由”が記載されている。
Residual Radioactivity and Radiation Signs and
Symptoms in Hiroshima by L.A.Woobury

ワシントン・マンハッタン計画に関わった人々
--残留放射線は出なかったと断定

物理学者 テッド・ロックウェル博士
『爆発後、進駐軍が 安全に広島へ
入れるように
残留放射線が出ないように計算した

ウィリアム・シャル博士
『当時、街中で チフスが大流行していた。
それを、”残留放射線”の影響と 見間違えたのだろう

しかし..
ABCCアメリカ原爆傷害 調査委員会 (現・放射線 影響研究所)
--ABCC研究員 玉垣 秀也氏
『当時、チフスは流行っていない
『調査した491名中 314名に残留放射線の疑いが認められた


1957年 原爆医療法では、入市被爆者も保障したが...

--患者は ABCCの検査結果を知らされなかった上

--『入市被爆者の残留放射線線量は無いと教わっていた。

-- ある患者は、症状を自己診断で「赤痢」とし、- 申請をしないまま63年

1986年 被爆者のデータを 原子力産業で利用する目的で
原発の安全基準 DS86(日米科学者の推定値)を作成

その際、残留放射線は 土から発生したもののみを対象とし
結果、ゼロとはじき出された。



放射線を帯びた土などが出す「残留放射線」の影響はほとんどないとして、
11万人いた入市被爆者の原爆症認定の申請は、ほぼ却下された。

DS86策定責任者 
元・オークリッジ国立研究所 研究員 ジョージ・カー博士
残留放射線の影響は 無い

その後も調査は行われぬまま、
入市被爆者は病気になっても国から「原爆症」と認められず、
援護のカヤの外に置かれてきた。

しかし..
広島大学教授 鎌田七男氏

残留放射線による異常を 個別に調査した結果

--残留放射線を浴びた人々は 通常の3.4倍の白血病罹患
--放射線の影響による 染色体異常を発見 
--鉄筋コンクリート他からの放射線を”計算ゼロ”とした誤りを指摘


『 ”科学的にわからない”ということを ”無い”と すり違えた。
残留放射線については ”わからないこと”が いっぱいある。
それが イコール ”残留放射線は無い”とされた。』


--想起::"THE SECRET HISTORY OF THE ATOMIC BOMB" by Eustace C. Mullins /
William L. Laurence, who was writing for the New York Times at full salary while also receiving a full salary from the War Department as the "public relations agent for the atomic bomb" published several stories in the New York Times denying that there had been any radiation effects on the victims of the Hiroshima bombing (Sept. 5, 1945 et seq.) in which he quotes General Groves' indignant comment, "The Japanese are still continuing their propaganda aimed at creating the impression we won the war unfairly and thus attempting to create sympathy for themselves."

--想起:岡井耀毅氏『昭和写真劇場』 以下抜粋

1947年5月3日に施行された新憲法21条で
「検閲は、これをしてはならない。
通信の秘密は、これを侵してはならない」と規定されたにもかかわらず、
超法規的にGHQ民間諜報局翼下の
民間検閲支援(CCD)によって 情報規制が強力にすすめられた。

注目されるのは
51年まで占領下の足掛け7年間、
原爆写真に関してだけは、厳しい検閲の下に 
いっさい陽の目を見なかったという事実である。



原爆投下から63年。

原爆投下後市内に入った「入市被爆者」と呼ばれる人達に対して、
原爆症と認定する道を開いた。

-2008年3月
2週間以内に入市して 1週間以上滞在した人を 
原爆症の認定基準に加える-

ABCCカルテ開示請求で、
63年目にして はじめて 【放射線による急性症状】と知らされる人

長年、重複ガン(転移ではない)を患っても、認定基準から もれる人

原爆症認定訴訟 10月3日 国が札幌高裁に控訴 '08,10,04 毎日

    

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