漱石-自己本位の目覚め- 『英国人の奴婢ではない』

鈴木孝夫氏ことばと自然

日本人あだ名はバナナでね、
顔はモンゴロイドだから黄色いけど心は白い。

つまり日本人は白人になりたがってる自分が
アジア人であることを呪ってる

非常にアィデンティティに危うさを持った
アイデンティティ・クライシス(Identity Crisis)を持った民族だ
というのが私の意見です。


漱石 文明論集』 夏目漱石 三好行雄氏編
この中から【私の個人主義】 以下抜粋 
1914年(大正3年) 学習院輔仁会において述 

とうとう教師になった というより
教師にされてしまったのです。

その日その日は まぁ無事に済んでいましたが
腹の中は 常に 空虚でした。

始終 中腰で 


隙があったら 自分の本領へ飛び移ろう
飛び移ろう とのみ 思っていたのですが

さて

その本領というものが あるようで、  ないようで、
何処(どこ)を向いても 思い切って やっ と飛び移れないのです。

腹の底では この先 自分はどうなるんだろうと思って
人知れず 陰鬱な日を送ったのであります。

私は こうした不安を抱いて--
-- 遂に 外国まで渡ったのであります。

私は 出来るだけ骨を折って 何かしようと努力しました。

しかし、依然として 自分は嚢(ふくろ)の中から
出る訳に参りません。

この嚢を突き破る錐(きり)は
倫敦(ロンドン)中探して歩いても 見つかりそうになかったのです。


--下宿の一間の中で 考えました。

-詰まらない- と思いました。


この時、私は始めて文学とは どんなものであるか
その概念を 根本的に 自力で作り上げるより外に
私を救う途(みち)は ない
のだと 悟ったのです。

今までは 全(まった)く他人本位
根のない浮き草のように 
そこいらを 
でたらめに漂(ただよ)っていたから、駄目であったという事に

漸(ようや)く 気が付いたのです

他人本位というのは-- 自分の酒を人に飲んでもらって
後から その品評を聴いて、それを理が非でも そうだ
としてしまう-- いわゆる 人真似(ひとまね)を指すのです。

近頃流行(はや)る ベルグソン でも オイケン でも
みんな 向こうの人が とやかく言うので

日本人も その尻馬にのって 騒ぐのです。

まして その頃は 
西洋人のいう事だといえば 
何(なん)でも蚊(か)でも 盲従して
威張ったものです

他人の悪口では ありません。

こういう私が 現に それ だったのです。


西洋人の作物(さくぶつ)を評したのを読んだりすると

自分の腑(ふ)に落ちようが 落ちまいが

むやみに その評を 触れ散らかすのです。

鵜呑(うのみ)といってもよし、機械的の知識といってもよし、
到底 わが所有とも 血とも肉ともいわれない、
余所余所(よそよそ)しいものを

我物顔(わがものがお)に 喋舌(しゃべ)って 歩くのです。

--時代が時代だから
みんなが それを 賞(ほ)めるのです。

けれども いくら人に賞められたって、
元々(もともと) 人の借着(かりぎ)をして 威張っているのだから、

内心は 不安です。

それで--
もう少し浮華(ふか=うわべは華やかで、実質の乏しいこと)を去って
摯実(しじつ=誠実。真摯。心がこもり まじめなさま)につかなければ、
自分の腹の中は 何時(いつ)まで経ったって 安心は出来ない
-- ということに 気が付きだしたのです。

西洋人が 
これは立派な詩だ とかいっても
それは その西洋人の見る所で、
私の参考にならん事は ないにしても、
私に そう思えなければ
到底 受売(うけうり)をすべきはずのものではないのです。

私が 独立した一個の日本人であって、

決して 英国人の奴婢(ぬひ)ではない以上は

これ位の見識は 国民の一員として具(そな)えていなければならない上に、
世界に共通な 正直 という徳義を重んずる点から見ても、
私は 私の意見を曲げてはならないのです。

普通の学者は--
甲の国民に気に入るものは 乙の国民の賞賛を得る
-- と誤認してかかる。
其処(そこ)が間違っているといわなければならない。

本場の批評家と私の考えとの矛盾は
--風俗 人情 習慣 国民の性格--
皆 この矛盾の原因になっているに相違ない。

この矛盾を融和(ゆうわ)する事が不可能にしても、
それを 説明することは 出来るはずだ。
単にその説明だけでも
日本の文壇には一道(いちどう)の光明を投げ与えることが出来る。
-- こう私は その時 始めて悟ったのでした。

私は この 自己本位 という言葉を自分の手に握ってから
大変 強くなりました。

彼ら何者ぞや と 気概が出ました。

今まで 茫然(ぼうぜん)と 自失(じしつ)していた私に、
此処(ここ)に立って、この道から こう行かなければならない
と指図してくれたものは、

実に この 自我本位 の四字なのであります。

私の不安は 全く消えました。

私は 軽快な心を持って 
陰鬱(いんうつ)な倫敦(ロンドン)を眺(なが)
めたのです。